『ホモ・ルーデンス』について

ホモ・ルーデンス
登山と「神話」その五

『ホモ・ルーデンス』について

 遠藤周作の「ぐうたらシリーズ」が、どんどん売れつづけているのだそうです。
 だいぶ前には、「マジメ人間」ということばが流行しました。こういうことばができ上ったこと自体、「フマジメ人間」がある存在意義を認められたことを意味していた、ぼくはそう思います。「まじめに働くことが、日本の繁栄と幸福につながるのですよ」という、支配者のかけ声に、民衆が首をかしげ始めたことをも意味していたかも知れません。
「まじめ」の対極にあるのが「ぐうたら」です。
「まじめ」はいいが「ぐうたら」はわるい。単純にいえば、そうなります。
 しかし、そう単純には考えられない。考えるべきではない。ただただ真面目に働いた結果として加速度的におこってきた、いろいろの、とんでもない社会現象を見て、民衆は考え始めたのではないでしょうか。
 気づいている人は多くはないかも知れませんが、日本的なタテマエ主義の「マジメ人間」の時代は、もう去りました。そして「グウタラ人間」あるいは「ハミダシ人間」の時代がきているのかも知れない。
 さて先号で、「山の死」の問題には「遊び」の社会的位置づけの問題が関わっている、とチラリと触れました。
 このごろでは山関係の文章の中に、「遊び」ということばを見つけるのは、さほど難しいことではありません。「ホモ・ルーデンス」などというのは、ごろごろしています。
 最近では、カイヨワも流行のようで、例えば、野村哲也さんは、「山と渓谷」一月号に次のように書いておられます。
 一登山が所詮は個人の遊びであるとすれば、記録のためとか、登山のハクをつけるために人のお膳立てした遠征隊にのっかるといったような要素が加わっては、カイヨワ『遊びと人間』のいう恍惚と目まいの境地に酔いしれることはできない一
 ところで、登山が個人の遊びであることがはっきりと、そういわれだしたのは、そんなに古いことではなさそうです。
 そんなにバッチリ調べたわけではありませんが、明確にそう規定した「云い出しべえ」は、どうやら京都の塚本珪一さんみたいです。
 一いろいろと理屈をこねたとしても、やはり登山は〈あそび〉である。〈あそび〉ではなく、人間限界に対する自己への挑戦、自然征服であるとしても、それは単に自己の行動の理屈づけとごまかしだと思う。正直にたのしい〈あそび〉、自分のための、自分を大切にする〈あそび〉といえばすっきりするだろう。徹底した〈あそび〉としての登山は結果として〈個人に属する登山〉の成立を見るだろう。(『岩と雪』10号、「続・登山は個人に属すべきである」一九六七)一
 一九六七年当時としては、これは極めて新鮮な主張でした。一方的なおしつけ的ムードで、伝統的な「聖なる登山」論がありましたが、登山はすでに大衆化の時代に入っていたからです。しかし、今日では、こういうことは常識となってしまいました。
 むしろ「個人に属し」きって、個人個人に分断孤立させられている、ぼくたち山に登るものたちは、どのようにして連帯を回復すればよいのか。それが問題となってきている。そう考えます。
 ここに「遊び」の問題が浮かび上ってきます。ぼくたちは、「山の世界」でよく「遊び」をロにしますが、はたして「遊び」を正確に理解しているのだろうか。はなはだ疑問です。特にこの日本の精神風土においては……。
「アルピニズム」などというものが、ぼくたちの連帯に、もう何の効果ももたなくなった今日、「遊び」の再検討は何かの「ヒント」になるかも知れない。
 そういうわけで、今回は、「遊び」をとりあげたいと思います。〈レジャー〉から「遊び」へ

「遊び」について語られるとき、きまってでてくるのは、〈ホモ・ルーデンス〉です。
 これは、あなたもとっくにご存知の通り、遊戯人という意味です。遊び人間といってもいい。こうした「ホモナントカ」というやつは、これに限らず、ほかにもいっぱいあります。〈ホモ・サピエンス(知性人)〉〈ホモ・ファーベル(工作人)〉〈ホモ・エコノミクス(経済人)〉〈ホモ・ポリティコス(社会人)〉……。さらには、梅棹忠夫のいう〈ホモ・エクスプローラートル(探検人)〉や黒川紀章の〈ホモ・モーべンス(移動人)〉なんてのもあって、これはもう「いっぱいある」というより、「いくらでも作れる」といった方が正しいかも知れません。
 さて、〈ホモ・ルーデンス〉を作ったのはオランダの学者であるホイジンガーです。
 彼は、一九三二年に『ホモ・ルーデンス』を書きました。三〇年代というヨーロッパ社会の激動期にでたということには意味があるはずですが、それについては後にふれます。
 さらに、ホイジンガーの「遊び」論を、一部手直し的に批判しながら継承したのが、カイヨワの『遊びと人間』です。
 よく知られているのは、この二つなのですが、他にもいろいろあるようで、たとえば、フィンクの『遊戯の存在論』(一九五七)。
 ところで、ぼくが面白いと思うのは、こうした「遊び」論が日本で続々と出版されるのは、七〇年代に入ってからなのです。
 ちょっと列記してみましょう。
一九七〇年 一 カイヨワ『遊びと人間』清水幾太郎・露生和夫訳(岩波書店)
一九七一年 一 『ホモ・ルーデンス』里見元一郎訳(河出書房新書)。多田道太郎・塚崎幹夫訳(講談社)。フィンク『遊戯の存在論』石原達二訳(せりか書房)
 とまあこんな具合なんです。
 どうしてなのか、ぼくもあんまりよく分りません。けれども、「遊び」に対する関心の高まりがあったことは否定できないと思います。
 もしかしたら、学園紛争・七〇年安保と続いた日本の激動が、何らかの作用をおよぼしたのかも知れない。
 さらには、クラシック・コンサートの不況、マンガ本、ポスター・ブーム、ポップ・アートの隆盛、ボーリング・ブーム、蒸発人間や家出少年少女の激増等は、一見何のつながりもないようでいて、深いところでつながっているように、ぼくには思えます。
 六〇年代になって、日本は、いわゆる〈レジャー・ブーム〉の時代に入ります。〈レジャー〉は流行語となりました。ところで、この〈レジャー・ブーム〉は、明らかに企業によって、意図的に作りだされた。これは重要な点です。
 物見遊山その他で民衆が遊ぶことで、利潤が追求できることに気づいた。おまけに、それによって、勤労意欲が高まり労働効率が高まれば、こんな結構な話はない。まさに一石二鳥というわけです。
 ところで、そもそも〈レジャー〉とは、余暇なのでして、労働・仕事に従属したもので、それの効率を高めるためのものというニュアンスが強い。「余暇の善用」というたぐいです。
 ところが、「遊び」となると少々異なります。だから、「遊び」が関心をもたれるようになったということは、単なる言葉のはやりすたりというだけの問題ではなく、実に興味あることだと思うのです。
 こうして、「遊び」に関心をもつ人がふえ、「遊び」が前面にでてきたということは、日本という特殊な国では注目すべきことではあります。がそれは、人々が「遊び」を、正確にとらえたことを意味しません。

ホイジンガーの危機感

 ご承知の通り、「遊び」についてもっとも総合的に考えた最初の人が、J・ホイジンガー(一八七二〜一九四五)というオランダの文化史家です。
 彼は、『ホモ・ルーデンス』(一九三二)を著わし、〈ホモ・ルーデンス(遊戯人)〉を〈ホモ・サピエンス〉、〈ホモ・ファーベル〉と同じく、というよりか、より本質なのだとしました。
 彼はまず、「遊び」の理念、あるいはモデル概念を構成し、それを考察の出発点としました。
 一形式について考察したところをまとめて述べて見れば、遊びは自由な行為であり、〈ほんとうのことではない〉としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらず、それは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからといって何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何の効用を織り込まれているのでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間のなかで遂行され、一定の法則に従って秩序正しく進行し、しかも共同体的規範を作りだす。それは自ら好んで秘蜜で取り囲み、あるいは仮装をもって、ありきたりの世界とは別のものであることを強調する。一
 つまり、ホイジンガーの定義によれば、「遊び」は次の五つの点によって特徴づけられることになるようです。
 1.自由 2.非日常性 3.没利害 4.時間的・空間的な分離 5.特定のルールの支配
 さて、まえにいったように、これが書かれたのは、三〇年代のヨーロッパ社会の混乱期でした。「遊び」が乱れてきた。ホイジンガ一には、そう感じられたのだと思います。
 こうした危機意識あるいは間題意識は、『ホモ・ルーデンス』を流れるモチーフです。
 それは次のようなところでも明らかです。
 一 文化はある意味では、いつの時代でもやはり一定の規律への相互の合意に基づいて遊ばれることを欲している。真の文明はいかなる見方に立とうと常にフェアプレーを要求する。……遊びの協定破りは文化自体を破壊する。一
 さらに、
一 文明のもつ遊びの内容が文化創造的であろうとするなら、……それは理性や人間性や信仰によって定められた規範から迷いだしたり、それに違反してはならない 一
 どうですか。あんまり有難がるようなものではないでしょう。まったくけったくそわるい。
 つまり、ホイジンガーとは、「遊びの大衆化」の傾向を感じとり、それに反発した学者という定義ができるわけです。「遊び」を人間の本質としたのは、当時としては冴えた見解ではあったのでしょうが、民主制をきらう彼の「遊び概念」は、美的表現の方に傾き、貴族的個人主義のそれにとどまってしまいました。
 そして、「遊び」のもつ「共同生活」性を一応指摘しただけで、〈遊戯人〉と〈社会人(ホモ・ポリティコス)〉とを関連づける視点をもなかったわけです。

カイヨワの「遊び」論

 さて、このようなホイジンガーの「遊び」論を、批判しつつ継承したのが、ロジェ・カイヨワ(Ro-ger Caillois 1913〜)です。
 彼によれば、ホイジンガーは「遊び」の〈文化創造的な面〉にあまりにとらわれすぎ、そのため、たとえば賭博といった〈非文化的〉な遊びを見落した。ホイジンガーのいう「遊び」は、〈闘争の遊び〉と〈表現〉の二つになってしまう。そう批判したのです。
 彼も、ホイジンガーと同じく、「遊び」のモデル概念を設定しました。
 それは次の四つの基本原理によって成立つことになります。
 1.競争−スポーツ(身体的能力)、チェス(知的能力)
 2.偶然−くじ、賭け
 3.模倣−芝居、変装、仮面、「変身の遊び」
 4.眩暈(めまい)一こどものぐるぐるまい、ジェットコースター、オートバイ、スキー
 以上なのですが、特にこの4がカイヨワの独創であって、カイヨワの「遊び」論は、これによって印象づけられているといってもいい位です。
 さらに彼は、(1)と(2)の要素が結合したものを、「脱所属の遊び」。(3)と(4)を「脱自我の遊び」と規定し、「脱所属の遊び」から「脱自我の遊び」への移行のなかに、文明化の道を見ようとしました。(しかし、それにもかかわらず、「脱所属の遊び」が、再湧出することを否定的に予見しています)
 さて、カイヨワのホイジンガー批判のもう一つは次のようなものです。〈ホイジンガーは「遊戯的もの」と「聖なるもの」とを混同している〉
 つまり、ホイジンガーの場合、常に「遊び」と共に「聖」の力が働いていました。彼にとっての「遊び」は「聖なるもの」でありました。
 だからこそ、文化のなかの「遊戯要素」の衰退は、「世俗化」の進展のしからしむるところであり即「聖」の力の衰弱であると感じ、危機感をいだいたわけです。
 ところが、カイヨワの場合、「遊び」は「聖」でも「俗」でもありません。「遊び」そのものです。だから「遊び」は厳粛である必要はなく、「聖」に較べてはもちろん、「俗」に較べても、はるかに気楽で自由な領域だったのです。
 この二人の場合を較べると、あなたがお気づきのように、カイヨワの方がはるかにドライでナウイです。
 このことは、カイヨワの『遊びと人間』が一九五八年に書かれたことを考えれば、容易に納得がゆきます。ヨーロッパ社会は、ホイジンガーの三〇年代とは、すっかり変っていたのです。

真の〈自由〉と真の〈遊び〉

 さて、プラトンはこう書いています。
一 最高のまじめさをもっておこなうだけの価値のあるものは、ただ神に関することがらだけであり、人間はただ神の遊びの玩具になるようにつくられている 一
 オリンピアの競技も、人間が神の玩具となって競われるものであり、本当に遊んだのは神だったのだそうです。
 神代には、人間は遊ぶ存在ではなかった。これは日本の場合も同じです。天の岩戸の前でストリップを楽しんだのは神々です。余談ですが、「面白い」の語源は、この時岩戸が開いて、神さまの面が白く光ったところにあるといいます。
 中世になって、人間も遊べるようになりました。とはいっても、「遊ぶ自由」を有したのは、「自由」をもった特権階級の貴族だけだった。
 そしてこうした特権階級を打倒すべく、力をたくわえてきたブルジョアジーが革命をおこします。この時、ブルジョアジーが要求したものの一つは「自由」でした。
 彼等が、貴族が独占していた「自由」をうばい取ったということは、同時に「遊び」を手にしたということでした。
 ところで、こんなことがよくいわれます。「自由には、「……からの自由」と「……への自由」とがある。いやちがう。「自由」をうばいとろうとするプロセスのなかにこそ真の「自由」があるのだと。
 これを「遊び」におきかえても、ピッタリ成立つと、ぼくは思います。
 いずれにしろ、いま極めて雑にザッと見てきた「遊び」の歴史からでも、「大衆化の方向性」という現在にまで続く時代の流れは、賢明な諸氏には充分おわかりでしょう。
 すでに述べたように、ホイジンガーは、こうした流れを認めませんでした。むしろそれに危険を感じたのです。
 それではカイヨワはどうでしょうか。彼の「遊び」における〈めまい〉要素の指摘は卓見ではあります。でも、それはそれだけのことだと思うのです。たしかに、カイヨワの「遊び」論の方がナウいフィーリングがある。とはゆうものの、結局は五十歩百歩の似たようなもんだ。ぼくはそう思います。
 ホイジンガーも、カイヨワも、「遊び」を〈なによりもまず自由な活動である〉と規定し、その本質に「自由」があることを明確にしました。
 しかしながら、その「自由」に関しての、歴史的視点を全く欠いている。というよりか、そういうことには意識的に目をふさぎ、「自由」は、「仮構の世界」としての「遊びの世界」にだけ存在すべきだ。そう考えているかのようです。
 たとえば、カイヨワは『遊びと人間』に第四章「遊びの堕落」の項を設け、「遊び」を「遊び」たらしめている〈実生活からの隔離〉が失われると、「遊び」は堕落する。そう述べているのです。

ホイジンガー、カイヨワの〈ルール信仰〉

 そもそも、「遊び」に関して最初に論じたのがホイジンガーというわけではありません。
 さきほどのプラトンに始まって、シラー、スペンサーをはじめとして、いろいろの人が、いろいろのことを言っているようです。
 だれもそうは言っていないかも知れませんが、もしホイジンガーが「遊び」論の元祖なんだとしても、それは、彼が最初に本をだしたというだけのことだと思うのです。
 それに、もうかなりしつこい位いいましたが、そんなにアリガタイものではない。『ホモ・ルーデンス』より二四年も前に、フロイドが述べていることの方が、ある意味は、はるかに方向性があります。
 一 遊んでいる子供はみな、ひとつの独特な世界を創りだしている。もっと正確にいうなら、自分の世界の事物を、自分の気に入った、ある新しい秩序に置き直している。
「遊び」の特徴は、そうした想像的な仮構性にあり、したがって、「遊び」の反対物は真剣ではなく現実なのだ。大人の空想や、その空想活動の所産である神話、演劇、文学作品なども、基本的には子供の遊びの延長線上にある。それらはすべて「人を満足させてくれない現実の修正」にほかならない。(「詩人に空想すること」一九〇八・『フロイド著作集』第三巻・人文書院) −
 さて、ホイジンガー・カイヨワの「遊び」論のもう一つの問題点は、二人に共通する〈ルール信仰〉です。
 この〈ルール信仰〉については、この「登山と「神話」の最初、スポーツ神話の項で少しふれました。
 とにかく、彼等は、ともに、プレーヤーによるルールの変更・修正を考慮していません。
 彼等によれば、「遊び」のルールは、〈有無をいわせぬ絶対的なもの〉〈一切の議論を超越Lたもの〉であり、よい遊戯者はその根拠を問うことなく、そのままの形でルールを受け入れねばならず、ルール自体に異議をとなえるものは、「遊び」の破壊者ときめつけられてしまうのです。
 こうした考えがいかに反動的であるかは説明するまでもないでしょう。歴史の流れに目をふさいで、それを否定しようというような人間は、いくら偉大な学者であっても、抹殺されるのがまた歴史の必然だと、ぼくは思います。

ピアジェの分析と考察

 ホイジンガー、カイヨワの〈ルール信仰〉に対して、「反動的だ」「抹殺される」などと、血走ったようなことばかり言ってたのではしかたありませんので、ここに有効な反論の素材を引用したいと思います。
 ジャン・ピアジェ(Jean Piaget 1896〜)。スイスの心理学者。彼は特に子供についての実験的臨床研究をおこなって、世界の心理学者の注目をあつめ、著しい影響をあたえたのですが、彼の研究を紹介します。
 子供の遊戯集団の詳細な研究をとおして、彼はゲームのルールに対する子供たちの態度を分析しました。
一〇歳以下、特に七〜八歳の子供の場合 一 年長者に教わった規則を厳守するルールは「強制的で神聖な何ものか」で、絶対的な拘束力をもち変更は許されないとみなされる。
一一〜一二歳の子供の場合 一 ルールは年長者の「権威」にではなく、遊戯集団の仲間たちの「同意」に基礎をおく。だから、強制的にではなく自発的に受入れられるものであり、より楽しく遊ぶために必要とあらば、「合意」によって変更される。
 興味深い分析だと思います。
 それに、なんともケッサクではないですか。ぼくたちのまわりには、股ぐらに毛だけは生えていても、実は七、八歳の子供相当の人間がそこらじゆうにゴロゴロなどというのは‥…。
 さて、ピアジェはこの観察・分析から、次のような考察にいたります。
 一 すべての道徳は規則の体系からなり立っており、すべての道徳の本質は、個人がかれらの規則をどれだけ尊敬しているかという点に求められる。
 道徳は二つに分けられ、ひとつは権威において不平等な社会関係での「一方的尊敬」にもとづく「拘束」の道徳ないし他律の道徳であり、もう一つは、平等な諸個人のあいだでの「相互的尊敬」にもとづく「協同」の道徳ないしは「自律」の道徳である。
 そして前者からは「義務」の観念が、後者からは「より自発的な理想であり強制的というより魅力的なもの」である「善」の観念が形成される。善は義務とちがって、個人の上に社会によって課せられた拘束の結果ではない。(J・ピアジェ『児童道徳判断の発達』同文書院一九五五) −
 小学校の「父親学級」というやつで、ある一流国立大学の助教授が、それは難しい横文字ばかりのでてくる講演をしたんです。その語の中には数限りなく、「子供」と「大人」ということばが使われていたんです。
 あとで聴衆の一人が、「子供と大人とはどこで区別してお話なさいましたか?」と、極めてその質問の意地悪さをかくしながらきいたと思って下さい。
 そのオランダに一年間留学していたという教育学部助教授は、おどろいたことに、全く返答に窮したあげく、「やっぱり経済的に独立して結婚したら大人ではないですか」などといったのです。彼の講演の内容が、これですべてぶちこわしになったことは当然です。
 ピアジェの分析より導き出される「大人への方向性」とは、「より楽しく周囲を作り変える努力をすること」ということになります。
 ところが、普通一般には、これが全く逆転していて、そういう努力を放棄したときに、「大人になった」などとほめそやす。
 そうであれば、この国は子供ばかりであることになり、べつに大橋巨泉の指摘をまつまでもなく、ぼくたちは「遊び」が下手で、「遊べない人々」ということになります。

〈遊びの隔離〉の意味と機能

「人間は、文字通り人間であるときだけ遊んでいるのであって、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのだ」(『人間の美的教育について』一七九五)
 こういったのはシラーです。そして、理想の状態においては「人間は美といっしょにただ遊んでおればよい。ただ美とだけ遊んでおればよい」としたのです。
 しかし、「遊び」がどんどん民衆に解放されてゆくにつれ、そんなことはいっておれなくなりました。
 ここに、ホイジンガー、カイヨワの「遊び」の隔離の主張があらわれてきたのだと思います。〈遊びの隔離〉つまり「遊び」は実生活から隔離されねばならないという主張には、普通二通りの意味があるとされています。一つは、「遊び」の側からの「純粋性保持の要請」によるものであり、もう一つは、体制の側からの「秩序維持の要請」によるものだというのです。
 しかし、よく考えてみれば前者はおかしいことになります。というのは、「遊び」の側などというのは現実にはありません。
 あるのは「遊び」を遊ぶ個人があるだけで、もしその個人が「「遊び」は純粋であらねばならない」と考えたとしたら、そう考えながら遊んだらよいだけで、とやかく口出しする必要は全くないのです。
 どうやら「遊び」の側というのは、タテマエの立場が、ホンネをかくすために強調されるのではないだろうか。そんな気がしてなりません。
 さて、ぼくたちは現実生活でさまざまのフラストレーションをいだきます。隔離された「遊び」は、こうした不満やいきどおりを、秩序にとって無害な形で放出させ、解消させ、そしてふたたび現実生活へと動機づける働きをしているわけです。
 つまり、「遊び」は秩序にとっては、一つの「安全弁」であり、「気つけ薬」みたいなものなのです。
「遊び」がいまいったような機能をはたすためには、「遊び」と「現実生活」との間に明確な隔壁がなければならないことになります。もしそれがなくなったら、「遊び」は「安全弁」どころか「爆薬」となる。支配者は、それに大昔から気づいていたがゆえに、〈遊びの隔離〉が強調されてきたのだと、ぼくは考えています。

〈怠け〉思想の評価

 ぼくたちは、「遊び」の具体的イメージとして何を考えるのでしょうか。人によってさまざまではあるでしょう。
 それはそれでよい。「遊び」というのは、「これですよ」と人に決めてもらうのではありませんから‥‥‥。
 でも、ほとんどの人は、「遊び」を「何かすること」というカテゴリーでとらえるのではないでしょうか。
 けれども、そもそも「遊び」ということばには、「ハンドルの遊び」という用例にみられるように、「無駄」「余裕」という意味があります。〈究極の「遊び」は「生」よりむしろ「死」に似ている〉らしい。「遊び」をあくまでも「活動」としてとらえ、「無為」や「怠け」をあくまでも「遊び」のカテゴリーから除外してきた「西欧」の遊戯思想に、ぼくたちはかなり毒されているのではないでしょうか。
 一 生への執着という弱みから、われわれは「積極的」遊びという名の擬似遊戯に身をささげる(多田道太郎『遊びとは何か』)
 こうした「怠け」の思想は、「遊び」が体制に管理されているだけではなく、収奪の対象となっている今日、大いに考える必要があると思います。「ものぐさ太郎」や「三年寝太郎」の民話の世界を見直さねばならない。そう思います。
 また、カフカの『断食行者』の世界。主人公は、どの食物も気に入らず、気に入らぬ食物に手をのばすより、むしろ飢えてみせたのです。「一流アルピニスト」を目指してというかけ声や、かびの生えた「偉人伝」におどらされる必要はありません。憑かれたように海外登山をくりかえす、有名登山家の心の暗黒に気づく必要もあります。
 これはちょっといいすぎの独断かも知れませんが、彼等は何度も何度も世界の矛盾が集約されているような地域にでかけながら、そういう現実や不合理に全く無関心という態度でいることが、ぼくにはどうも理解できません。
 いずれにしろ、「遊び」を追求するにしても、「怠け」「ぐうたら」から出発し直さないことには、「遊び」の本質はつかめず、ただいたずらに肉体と精神をすりへらすことになってしまうのではないでしょうか。

 <自由の感覚〉の追求と連帯  現代社会は、巨大で複雑で、そして極めて巧妙な「管理社会」です。  そこでは、「遊び」までもが管理され、おまけに「利潤追求」の対象となる。  この、多くの亀裂を走らせつつも、一見「豊かな社会」において、「遊び」は大衆のものとなったかにも見えます。しかし、本当は「遊び」の本質はますます遠ざかっているようです。  隔離された「遊び」の世界で、ぼくたちは現実を離脱し、実生活のさまざまの重荷から解放され、ふだんは日常の塵に厚くおおわれて、ふれることのできない純粋な「生」にふれる体験をもちます。  正確にいえば、時として持つかも知れない。  この「純粋な生の体験」、つまり〈自由の感覚〉こそ追求すべきものだと、ぼくは考えます。  もちろん、それは、「時として」ですし、かぎられた時間のなかの、さらにかぎられた一瞬における体験かも知れない。  しかしそれで充分です。  こうした体験によって得た「自由」の感触は、既製の秩序・体制のあり方に刃を向ける拠点となるかも知れません。  さらには、〈隔離〉の限界そのものを越えようとする願望を必然的に生みだすはずです。  そして同時に、こうした意味で暗闇のなかの「自由」をまさぐる者同志が連帯するべきではないでしょうか。「祭」の伝統は、支配者の民衆コントロールの手段としてではなく、ぼくたち自身で再構成されねばなりません。革命は、「おまつり」のごとく「遊び」のごとくおこなわれるのでしょう。 (たかだ・なおき) 【『岩と雪』42号 1975年4月所収】

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