西パキスタンの旅 第13話「幻の峠を求めてーハラハリ氷河とマナリ・アンー」

 偵  察
幻の峠4 ベースキャンプ建設の翌日、安田はポーターたちと、この放牧地にいる羊飼いをつれて、早朝から偵察にでた。
 昼まえ、テントで寝ころがっている私の所へ、羊飼いのミヤシールがかけもどって、安田からの手紙を手渡した。

羊飼いのいう水のあるキャンプ地につきました。高度3810mです。
その地は、右岸のサイドモレーンと、支谷(ラスプール氷河へとちがう方)のモレーンとにかこまれ、凹地になっています。水は池の氷河水です。
ここまで二時間かかります(昨夜のキャンプ地より)。しかしここにくるにはサイドモレーンの急な斜面をトラバースするか、サイドモレーンぞいにくるかの方法しかありません。いずれの方法も少し荷物をもったポーターには危険かと思います。
水もあまりよくないし、ここから稜線への行動も前進キャンプを必要とすると思います。ただ、この支谷を登るのならいい場所ですが、本谷(ラスプールの谷)の方へは、昨夜のキャンプ地でもよいのではないかと思います。
ポーターは現在サイドモレーンの端でまたしてあります。この地をベースにするかどうかまよっています。バラサーブがくるか、それともその地で判断して、この男にいうかどうかして下さい。
安田(以上原文のまま)

と、メモ用紙にボールペンで、ゆがんだ活字のような、彼独特の字がつまっていた。
 昨夜の打合せで、この場所は、前のサイドモレーンにさえぎられて何も見えない。本谷が見渡せる場所の方が、峠越えのルートも見つけやすかろう。できれば、キャンプを上方へ移動させよう、ということになっていた。
 私は、安田の手紙を読んで、その場所を見にでかけることにした。
 ほとんど氷河の末端近くを横ぎって、対岸のモレーンに行く。モレーンの末端近くには、ポーターたちであろう、いくつかの黒点が見え、はるか上手には、三つの人影があった。そこが、キャンプ予定地らしい。
 私は、そこをまっすぐに狙って、氷河を斜めに横断することにした。
 それは、想像以上にホネだった。私はまるで、砕石の山を行く、一匹のアリのようだ。
 大小の、まだ大地よりけずりとられたばかりの、鋭く角ばり、とがった岩が、不安定に積み重なり、進行をはばんだ。
 私は、この氷河をつめるルートとしては、サイドモレーン以外にないことを、身体で感じていた。

峠はある!

幻の峠4マップ そのキャンプ予定地は、本当に見晴らしのよい所であった。安田と、シカリーのジアラッド、ポリスのガザン・カーンの三人は待ちくたびれて、氷河を吹きおろす風にふるえていた。
「ええ場所やなあ」私が、感嘆していると、ガザン・カーンが激しくわめきだした。  彼のプシュト一語は私には全然分からない。でもときどき混ざる、ウルドーだけが聞きとれた。
「………カプラー(衣服)……チャトリー(靴)……サルディー(寒い)……‥」 「私たちには靴も服も寝袋もテントもない」と、ジアラットがつづけた。「サーブたちはいいが、私は寒い。寒くて眠れないだろう。ここには暖をとる木がない。彼はそういったのです」 「それでお前もそう思うのか、ジアラッド」と、私がいうと、彼はまっすぐに私を見上げた。彼の眼は、なぜか物悲しげに見えた。「あなたが行けといえば行く。帰れといえば帰る。ここは寒い。でもサーブがここに寝るといえば、私は寝る。他の連中もそうする。
誰にも文句はいわせない。私たちに寒い思いをさせるのも、そうでなくするのもあなただ。サーブ自身の判断だ(サーブカ・アプナーマルジー)」(私たちは、引返したのであるが、もしどうしてもここにテントを移すことにしたら、どうなったろう。これは大変興味深い設問であるが、これについての考察は他稿に譲りたい)
 その日の午後、ベースに帰りついてから、私は羊飼いのミヤシールに、峠越えの道案内人をさがすように頼んだ。今日の偵察の結果、どこを見ても、峠らしきものは見いだせなかった。
 だが、必ず、峠はある! その峠はシルクロードの昔から使われていたはずだ。そして、それを知らないのは、いわゆる先進国の文明人だけであって、現地の人間にとっては、昔からの使い古された、生活の路にすぎないのだ。
 そういうものを、発見だ、初踏査だとは何たる独善であるのか。アメリカはコロンブスが発見する前から、アメリカ・インディアンにとっては、自分たちの住む領土であった。そう考えたとき、アメリカの発見とは、何という空々しさなのか。
 とにかく、ミヤシールは、「明日、その男を連れてくる」といったのだ。

ハラハリのポーター

 翌日の朝、テントの外がさわがしくなった。ファキールが私を呼びにきた。ハラハリ村の連中が登ってきていた。
 ファキールにジアラッド、ハラハリ村の八人と私は、車座になって、岩の上に座った。私は、テープレコーダーをONにすると、話し始めた。
「ここからラスブールへ行き、またここに帰ってくる。何日必要か」「ジャーネーカドゥー。アーネーカドゥー。ジャーネー、アーネー、チャールディン、ホーガー(行き二日、帰り二日、行き帰り四日だ)」小ぶとりの爺さんが、早口でいった。「でも、一〇日かかるか、一五日かかるか、あんたたち次第さね」
「それで、一日何ルピーをお前たちに与えるべきなのか」と、私が聞くと、すでにファキール等と相談してあったらしく、すぐに答えた。
「一日二〇ルピー。サーブ、道は非常にキケンだ。分かるか」老人は、サマジギャ(分かったか)を連発しながら、キンキン声でまくしたてる。「氷の割れ目を飛ぶんだ。分かるか。あのルートを知ってるのは俺だけだ。分かったか。二〇ルピーより安くはできない。分かったか」
 老シカリー(猟師)のアブド.ラーハマン(六〇)。ボーとした感じだが眼光は鋭い。彼は若いときから何回も、ハラハリ峠(KharakhariGali一彼はマナリ・アンをそう呼んだ)を越えており、約一五回におよぶ。
 彼がいなかったら、私たちのマナリ・アン越えは、成功したかどうか疑問だ。少なくとも、倍の日数はかかったろう。
 とにかく、結論として、ここでハラハリ村のポーターに切りかえることにした。
 ガプラル村の連中では、とても無理だ。彼等もそれをよく知っていて、この決定を内心喜んだようだ。
「俺たちには無理だ」とか「俺は行くのは恐しい」などということは、彼等のプライドが許さない。特に、一段低く見ているハラハリ村の連中の前では……。
「一緒にラスブールに行きたかった‥…」と私がいうと、ファキールは、あのくぼんだ眼をククッと見開いて、
「サーブ」と私を見つめ、それからハラハリ村の連中をねめまわしながら、「もし奴等がよくない行動をしたら、ガブラルに帰ってそういえ。俺はただじゃおかない」と、すごんだ。
 高橋幸治みたいな顔をした、ムシュラップ・カーン(二八)が、「ティークタ、ティークタィ(分かった、分かったよ)」とコーヒスタニーで答えた。なんと、彼等にとって三つや四つの言語を話すのはごく普通のことだ。
 ウルドー、プシュトー、コーヒスタニー、ゴジリー。四つの言語が入りみだれた談合は一時間も続いた。
 その日の正午、私たちは峠越えに向かった。ベースを張って二日後、七月二十三日。予想外に、すばやい出発であった。(つづく)

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