22.ほんとの教育者てあるんか

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 学生の時、春の穂高に登っての帰り路、松本駅にたどり着き、京都までの切符を買うと十円しか残りませんでした。夜行は出たあとで、ここのベンチでの夜明かしを決め、その十円でアンパンをひとつ買いました。両の手で、包み込むような気持で、それを喰べようとした時です。一人の男が、ジッとこっちを見ているのに気付いたのです。どうみても、それはルンペンでした。
 ちょっとかじったのですが、その男はまだぼくのアンパンを見つめていました。なんだか申し訳ないような気分になって、ぼくは、パンを半分割って、彼に与えたのです。
 これがきっかけで、彼はぼくに色んな話をしました。驚いたことに、彼は国立、いわゆる帝大出なのでした。哲学科だそうで、カントやヘーゲルなどがポンポンとびだしました。その人生哲学や世相批判は、社会の枠外からの視点にたってのものであるためか、なかなか面白かった。
 当時の山登りの服装というのは、今に較べれば、なんともくすんだもので、帰りともなれば、服はボロボロ、髭ボウボウで、ちょっと見にはルンペンさながらでした。おまけに、帰りの金など無いことがままあり、なじみの旅館のオバチャンに借りたり、駅前の派出所に頼みこんだり、どっちかといえば乞食みたいなもんでした。
18-1.jpg その所為か、よくルンペンに話しかけられることがあったのです。あの時、御在所岳で岩登りをしての帰りもそうでした。ぼく達は名古屋駅まで帰り着き、テレビ塔の下で寝るべく、歩いていったのです。そしたら、一人のルンペンが、「駅の方がいい、一諸にゆこう」と誘うので、また駅まで引返した訳です。
 この男も、なかなか面白かった。彼は、朝鮮人で、戦時中、北海道の炭坑で強制労働に従事させられていた。真冬に、そこを脱走した時の九死に一生の恐しい体験を克明に語りました。彼はこういいました。
「人間鍛錬すれば、何でも出来る。オレはいまどんなに寒い真冬でも、新聞紙一枚で、アスファルトにごろ寝できるよ」
 ぼくは、ただ感心していました。
 こうした経験は、ぼくに、人は外見だけでは判断できないもんだ、ということを教えたようでした。
 二回目のカラコルムに行った時、スワット・ヒマラヤの山中で、羊と共に暮らす山人達からも、多くの事を学びました。なによりも、物質的に全く恵まれない彼らの、その卑屈さの全くない誇り高さに、腹立たしさを覚えながらも感服し、やがて、感化を受けたのです。
   ——学校よりも、あらゆるタイプの人間のそろっている実社会こそが真の意味での
  もっとも有効な教育の場所といえよう。実社会での結合・敵対等の一切の人間関係を
  通じて、万人は万人に対する教育者としての役割を知らないうちにはたしているので
  ある(家永三郎)——

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 数年前、シンナーの悪習から抜けられず、とうとう病院に入れられた生徒がいました。彼が退院してきて、ぼくの授業に出てきた日、出欠をとって初めて彼がいるのに気付き、 「オッ、出てきたんか。それでどんな具合やった」
と、声をかけたのです。
「学校とおんなじことですよ。テレビが見れるだけいいくらいや。それにしても、今の学校も教師もひどすぎる」
と、勢い込んで、彼は不平を鳴らしつづけました。彼はぼくとの問答の中で、学校や教師はどうあってほしいかという例として、何度も何べんも、テレビの「学園もの」を引きあいに出しました。クラスの全員は、シンとして、彼とぼくとのやりとりを聞いていたのです。
「そらお前、テレビの見すぎやで。あんなもん、お話にすぎんのじゃ」
と、ぼくは断言しました。でも、その時、彼は期待が大きすぎるのだ。学校や教師に多くを望みすぎるのだ。そんな気がしたのです。そして、もしかしたら、彼はそうした現実と自分の幻想とのギャップにもだえ、シンナーを吸うことによって、空想の世界に遊ぶのではなかろうか。そんなことを考えたのでした。
18-2.jpg ぼく自身、自分の学校生活をふり返ってみて、彼のような発想は、全くなかった。ぼくにとって、教師とは、のっけから、多分に偽善的であらねばならぬ職業についている人に過ぎなかった。
 だから、人事院総裁だった佐藤達夫氏の次のような言葉などは、とても、まともに受取れない。なんだかあっ気にとられる。
   ——教育基本法の第一条は、教育の目的として、「教育は人格の完成をめざし……
  自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わねばならない」と定め
  ている。私が学校に通ったころは、むろんこのような法律のできるずっと前のことだ
  ったけれども、小・中学校時代に私の教わった先生たちは、どの一人を思いだしてみ
  ても、まさに、この理想にそった教育をしてくれたといっていい。これはほんとうに
  幸いだったと思っている——
 ほんまかいなあと思う。ほんとにそう信じ込める人がいたらそれこそ幸せだなあという気がします。これに較べれば、ゴールドブレンドのコマーシャルの、指揮者・岩城宏之などは、まことに心安まることをいっている。
   ——ぼくはいろんな人が[わが尊敬する師」などと生涯かけて尊敬し、お慕いなさ
  れているのを読んだりしても、どうもピンと来ないのだ。そういう偉大な真の教育者
  にめぐりあった運のよい人をうらやましいとは思う。でも百パーセント尊敬され得る
  人、および百パーセント人をあがめる人の両方を、ぼくは信じない。(中略)少年時
  代にぼくにおとな不信の精神を植えつけてくれた教育者でもあったおとなたちに、感
  謝しないでもない——
 どうやら、〈良い教師はない。よい生徒があるばかりだ(山根銀二)〉ということになるらしい。

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 ぼくはよく人から、「ほんとに学校の先生なんですか」とか、「とても先生には見えません」などといわれます。まことにケッタイな話なのですが、そういわれると、なんだかホッとしたりする。
 ところが、まれに「やはりタカダさんは先生なんてすねえ。安心しました」などと、その真意をつかみかねるようなことを云われることがある。なんだか、ガックリきて、ドッと疲れるような感じなのです。
 ずっと昔、まだ車が少々珍しかった頃、ぼくは、新車の定期整備に工場に行きました。一人の中年のオッサンが、親しげに話しかけて来たのです。彼も整備に来たらしい。
「どうでっか。車の調子は。ああ、そうですか。私のも調子は上々でっせ。これ買うてよかった思うてます」
 彼は矢つぎ早に話し、ぼくは適当に合槌を打っていました。そのうちに彼は、
「お商売は、なにやったはりますねん」
 それ来た、とぼくは思いました。ぼくの一番いやな質問です。ところが、人は直ぐにこの問いを発する。ぼくは、やや言い澱んで、
「教師です」
18-3.jpg とたんに、そのオッサンの顔が引きつった。「はあ、そうですか」とかなんとか、モゾモゾいいながら、すうっと、向こうに行ってしまったのです。
 その時、ぼくは、そのオッサンの、学校生活での暗い過去を見たような気がしたのです。彼は、おそらく「いい生徒」ではなかったでしょうし、成績がよかったはずはありません。もしかしたら、教師にいじめ抜かれたのかも知れない。そうでもなければ、あの、彼の顔面をよぎった一瞬の、怖れと嫌悪の入り混った表情の説明がつかない。そんな気がしたのです。なんだか後めたいような、いやな気分でした。
 劇作家の唐十郎はこう書く。
 ーー教育者として私の前に現われた人の顔は、いつも血の気が薄く見えたもんだ。
 まるで昼間に現われた吸血鬼のような。それは、場を間違えて少年たちの前をうろつ
 く、知性の仮面をかぶった肉体の敗残者だった。(中略)教育者が現われるところは、
 教室かブックの上であり、教える側と教わる側という位置は絶対に転換しないために、
 それは、暴力的な設定でさえある。バカがゴマンと教育されるのも、その位置の不動
 の約束に原因があるのだろう。だから私は、教室の住人である教育者を信奉しなかっ
 たことを幸福に思う——
 またグラフィックデザイナーの横尾忠則はこう書きます。
  ——私は「教育」という言葉を間くだけで鳥ハダが立つくらい、この言葉がきらい
  だ。何故かこの言葉の裏には、強制的に人間を支配しようとする政治的なサディステ
  ィックな力が隠されているようで、近よるのがおそろしい感じがする。人間が人間
  を、「教育」という言葉を借りて所有しようとする非人間的な行為が、どうも好きに
  なれない——

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 大学の専攻生の頃、NHKの「歌のおばさん」をふとんの中できいてから出掛けるのが常でした。それで、昼前に校門に向かって歩いてゆくと、よくK教授と一緒になりました。門を入って校舎のビルの手前まで来ると、彼は、
「タカダ、ちょっと先に行って、向うにコンキンさんがいないか見てくれ」
 コンキンさんというのは学長のことで、K教授の厳格な恩師なのです。
 角を曲った所で、ぼくが振返って、OKサインをすると、彼はスタスタと追付いてきて、「なあ君、世の中はこういう風にやるんや」と云ったものでした。
 ぼくの専攻講座のノダマン先生は、毎日、夜遅くまで実験に没頭しながら、いつも、
「ワシは職人や」といっていた。
 高校の時、京大を出たばかりの英語教師のナカニシさんは、授業中誰かにリーダーを読ましておいて、ぼくのそばに来ると、小声で、
「タカダ、今晩飲もか」
と、誘うのが常でした。
 こうした先生方は、特に何かをぼくに教えようとしたことはなかったみたいです。どっちかというと、ぼくが勝手に学んだ、というか盗んだのだろう。ただし、彼等が何かを身をもって示してくれていたから盗めたのかも知れないという気はします。
 ところで、ぼくはいま教師という仕事をやってゼニをもらっているのだけれど、「理想の教師像」は、などとたずねられると、ハタと困ってしまいます。万人が万人の教師だという立場からすれば、それは「理想的人間像」みたいなことになって、もっと困る。はっきりしていることは、教師は必ずしも、教育者ではないということ位です。
18-4.jpg ——ほんとうの教育者というのがもしあるとしたら、それは円満具足、完璧な″理想像″的存在ではなく、どちらかといえば圭角のある、つまりデコボコな、どこやらに不可解なところを持った、だから教育される側からすれば抵抗を感じ、従って抵抗せざるを得ないところの、しかし抵抗しているうちにいつの間にか、こちらの自発性が引き出されて来ているという、そうした存在であるのだろうと私には考えられる。そのことをいい換えれば、一人の完全無欠な先生のイメージは私の記憶の中に浮かんでこない代りに、あの変な先生、この変な先生という記憶、そういう変な先生がたの記憶の総合、あるいはそこにあった共通項というものをもとに、私にとっての″ほんとうの教育者″のイメージは形づくられる——
 この、劇作家・木下順二の見解は、まあ、なんだかもっともフィットするような気がしています。

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