「おわりはたて前で」ではなくて


「いやいやまあまあ」って、なんやらヘンなタイトルでしょう。でも、ぼくは、けっこう気に入っているのです。
 担当記者の学芸部のクマさんは、
「ええっと、タイトルはやっぱり、オートバイを使いたいんで、〈ナナハン先生行状記〉とか〈ナナハン先生奮戦す〉とか……」
と、ちょっと口ごもりながらいいました。
「それもう、そんなんちょっと古いですョ」
とぼく、
「それに、ぼくのバイクは、ナナハンとちごて、ロクハンです。」
「はあん」
と、クマさんは、いやにがっかりした表情になったので、ぼくは少し気の毒になり、
「いやいや、ロクハンもナナハンも似たよなもんですよ」
「でもやっぱり、ロクハン先生よりナナハン先生の方が語呂がよいみたい……」
「まあまあ、よろしいやんか。まだ時間はありますし。なんか、デスクがいうたはったみ たいにパリイッとした奴、考えて下さい」
とぼくは、相手に押しつけることにしました。それをいち早く察したのか、クマさんは、
「センセイも考えて下さい。私も考えますから……」
そごでぼくは、ちょっと言ってみようか、という気になり、
「ちょっとあるんですョ。あのう、イヤイヤマアマアちゅうのんは、どうです」
「はあ?いや、いや、まあまあ、ねえ。なんか、もひとつ、はっきりしませんねえ」
「そうです。そのはっきりしんところがいいのとちがいますか」
 このタイトル、ぜんぜん気に入られへんかったみたい。おかしいなあ、けっこうええはずやがなあ。                             ‘
 ラトックⅠ峰から帰ってきてしぼらくした秋口、ぼくたちビアフォ・カラコルム登攀隊は、京都で登頂報告会をやりました。報告会といっても、そんな普通のやり方ではなくて、朝日新聞、朝日放送を始めとする大口スポンサーだけを招待してのパーティです。場所はぼくが教師になったばかりの頃の教え子のケンシロウが、自分の店のクラブを開放してくれました。やり方といい、場所といい、それはえらくカッコウよかったのです。
 このパーティに、やはりスポンサーだったキンシ正宗が、でっかい「こもかぶり」を寄贈してくれたのです。みんながんばって、マスで飲んだのだけれど、そんな三時間やそこらでは、とてもラチ、いやタルなどあきませんでした。
 しかたなくぼくは、この巨大な「こもかぶり」を家に持帰り、床の間にでんと据えたのです。早く片付けないと、どんどん発酵が進んで駄目になるそうです。ぼくは、いろんな人を誘い、様ざまな人達が樽酒を飲みに、家にやってきました。
 以前に桂高校にいて、その時からの付合いのN先生がやってきました。彼は、酔払うといつも、「おい、ナオキ」とぼくのことを呼ぶ癖があります。たとえば、ぼくの出版パーティなどで、彼が酔払ったとする。まあいつでもそうなのですが……。すると彼はぼくの悪口、本人はちっともそんな気はないらしいのですが、きいてる者にはそう聞こえるようなことをべらべらとしゃべる。東京の連中が、「あの人、高田さんと、どういう関係なのですか」ときいたそうです。
 さて、彼は樽酒を一合ますでキューッ、キュッと一升近くを飲むと、例によって弁舌をふるい始めました。ほとんどしゃべり切っておいてもらってから、例によって、ぼくがチョコッ、チョコッと質問します。すると、
「いやいや、ちがいますよ。カーターはねえ……」
 あるいはまた、
「いやいや、そうなんや、その通りやで」
 そして、ぼくが、時に感心して、つまり、彼はぼくにできない見方や分析をすることがあって、「センセ、すごいなあ。その見方はおもろいで……」とゆうと、
「いやいや、まあまあそういうこっちゃ、ハッハッハァ」
 いやまあびっくり。彼の場合、センテンスの冒頭はいつも〈いやいや〉とくるのです。こんなことは始めてでした。キンシ正宗の樽を飲んだ途端に、そんな具合になったのか。周りのみんなも、〈いやいや〉が耳につきだし、クスクス笑うのもいました。とまあ、そんな具合だったのです。でも、まだまだ樽の酒は減ってはいませんでした。
 その何日か後、誰と一緒だったか忘れてしまいましたが、ぼく達は、まだ飽きもせず、もうかなり少なくなった酒を味わっていました。どういう話だったか、やっぱりこれも忘れていますが、ともかくぼくは急に腹が立ってきて、カッカして、
「けしからんやないか、そんなこと、だいたいやねえ……」
 とやりだした時、いつの間にそこに来ていたのか、斜め後に立っていた中学生の息子が、ぼくの肩に手を置くと、
「まあまあまあまあ」
 みんなは笑うし、ぼくもガックリして、苦笑しながら、「いやいや」などといっていたのです。
 この〈まあまあ〉は、すでに冬のスキーの時、一緒だったグループで、すでにちょっと流行りかけていたようなのです。
 〈いやいや〉に〈まあまあ〉。両方とも、何となくしまらない。けれど、なんとなくユーモラスで、それに、その時の状況で、何とでも使えるみたいなところが面白い。考えてみれば、この時、ぼくは、〈いやいやまあまあ〉というタイトルを決めたらしいのです。決めたとはいっても、絶対にいいと思った訳では決してなくて、なんとなく、まあまあやなあと思っただけなんです。だから、これにしますともなんとも言いませんでした。
 新聞社は、いろいろ考えて、いくつかのタイトルを提示しました。でも、そのどれもぼくの気に入りませんでした。これならどうです、といって、クマさんが示した「ロクハン先生の山と谷」というのは、別に悪くもなかったけれど、よしそれにしようという気もしなかった。ぼくが考えた「月とスッポンポンの教育論」というのは、デスクや部長の、ふざけすぎてるという意見で没になったのだそうです。というような次第で、最終的には、「いやいやまあまあ」が、しつこく生き残ったという訳です。
 さて、この単行本は、いまの話の新聞連載に何話かをつけ足したものなのですが、タイトルは、やっぱり問題となりました。ミネルヴァ書房のテラウチさんは、最初に会った時、 「この題は、なんとなく漠然としてますんで……。なんかいい題を考えなくては……。いい題を考えてみます」
といい、ぼくは、
「そうですネ、お願いします」
と答えていたのです。
 何ヶ月かして今年になって、会うと、彼は突然なんだか複雑な顔をして、
「こんなことは初めてです」
といいます。ぼくは何のことやら分らず、
「はあ、何のことです」
 「いやいや、タイトルですよ。これまで、あかんと一旦思ったものはあかんかったのに、どうしたことか、〈いやいやまあまあ〉が何となくいいように思えてきたんです。なんとなく変な気分なんですが……」
「へええ、そうですか。それでは〈いやいやまあまあ〉でゆくということですか」
と、ぼくは、なんだかホッとしたような気分でたづねました。
「そうします。いやあ、考えてみると、ぼくも、けっこう、いやいや、まあまあでやっとるんですねえ」
と彼は答え、ぼくは何となくカンくるい、黙ったままだったのです。
 以上のような訳で、今、みなさんは、この『いやいやまあまあ』を手にされておる、ということです。
 ただこの本は、テレビドラマみたいに、「実在するいかなる団体・個人とも関係ありません」という訳ではなく、みんなホントです。正確にいうと、ぼくは、ホントの積りです。自分自身も含めて、できるだけホントを書こうと努めました。ただ、ぼくの思い違いが、いちいち確かめませんでしたので、あるいはいくらかあるかも知れません。その際の責任の一切は、ぼく自身にあります。
 多分、教育関係で、こうした種類の本がでたのは最初のことかも知れません。新聞連載が始まってしばらくすると、いくつかの団体から講演の依頼がありました。ぼくが面白いと思ったのは、ぼくの話を所望したのは、全て若い人達だったということでした。
 連載が終った頃、奥丹の教員組合の青年部から、やはり講演の依頼がありました。「青年教師の集い」というのが、一泊二目であるのだそうです。
「いやあ、ほんとの話、センセイ相手にしゃべれるような教師じゃないんですよ、ぼくは」
 正直いってぼくはあんまり気が進まなかったし、おまけに、本文で、若い教師のことをあんまりよく書いてないのです。面白くもないという気分でした。ところが相手はしつこく頼み込むし、聞いてみると、会場が、岩滝の公民館だというのです。岩滝といえば、ぼくの出生の地で、話にしか知らない土地です。「是非前夜からおいで下さい。若い連中が喜こびますから……」という話にのってぼくはOKしたのです。
 ところが何日かして、家に、断わりの電話がポツリとあって、ぼく自身へ直接には何のコメントもないまま、この話はキャンセルされました。ふうん、どっちかからの庄力やろなあ。ぼくはそう思っただけです。そして同時に、やっぱり、ぼくが書いた通り、若い奴はあかんなあ。ぼくはなんだかホッともしたのでした。
 いやいや。とはいえ、『いやいやまあまあ』は単なる読み物です。まあまあうまい具合に僕をおだてて、こんなものを書かせた新聞社のクマさん、それにこうした勝手な書き物を本にして頂いた「ミネルヴァ書房」さんとテラウチさん、素敵なさし絵と表紙で花をそえて頂いた山本容子さんに心より感謝しております。
 といっても、これはほんとに「本音」でして、「おわりにたて前で」という訳では決してありません。重ねて御礼を申し上げます。
                                メーデーの日の夕

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