ドバイへ


10月11日
ペシャワールからアマンの車でイスラマに戻り、そのまま夕刻7時のカラチ便に乗って、再びシェラトンホテルにチェックインしました。
荷物を運びながら、ポーターが、前と同じ部屋ですねというので、そうかいと云うと、
「サーブは忘れてるけど、俺はしっかり覚えている」
と胸を張りました。

アマンから貰った封書のドキュメントを開けてみました。
BRIEF ON NEW VISA POLICY ON 30th JUNE, 2006は、7ページに及ぶペーパーで、「世界の情勢に鑑み外国の技術者、観光客、その他の人を迎え入れる事は、この国の評価を高め経済効果も生むものである云々」などと、事細かな箇条書きで書いてあります。
そして、LIST OF TOURIST FRIENDLY COUNTRIESとして、23カ国のリストがあり、勿論日本もそのなかに含まれています。
最後に、26個のパキスタン旅行エージェントがリストアップされています。

問題のInvitation Letterというのは、一枚のレターで、次のように書いてありました。

October 4, 2006
CK/EOP/0410

To,
Visa Officer

Sub:- REQUEST FOR ENTRY VISA “VISA ON ARRIVAL*

Dear Sir,
We cordially request you to grant Entry Visa to our honorable tourist
against the gavernments visa policy attached “VISA ON ARRIVAL AL” for 24
Tourist Friendly Countriess(TFC) through designated/ authorized tour oprators in Pakistan.

All the neccessary expenses concerning their transportation, accomodations and any other incidental once will be borne by our organization. The details of our tourists are given below

Name:  Mr.Naoki/TAKADA
date of Birth  17-09-1936
Passport #  xxxxxxxxxxx
Date of Expiry xxxxxxxx

Name:  Ms.Hideko/TAKADA
Date of Birth  xxxxxxxxxxxx
Passport #  xxxxxxxxxxxx
Date of Expiry xxxxxxxxxxxx
   
   We would highly appreciate your kind cooperation in this regard.
Yours sincerly
(signature of Agent)
Ch Faisal Saleem
Manager Operations
Cox & Kings Pakistan(Pvt)Ltd./Travel & Tours(Gov lic #ID-549)

要は、以下の2名の面倒はすべて当方が見ますから、New Visa Policyに基づいて、ビザを免除してほしいというものです。Press Briefing on New Visa Policyという新聞記者用のドキュメントが同封されているのは、この新規約を知らない入国審査官に知らしめるためのようです。
このインヴィテーションレターは、日付はありますが、期間の指定はなく、何回でも使えるようです。つまりぼくたちは、今後ビザなしで自由にパキスタンに何回でも入国出来るという、とんでもない文書ということになります。

英文でうんざりした方のために映像を...。
今度はほとんど撮っていないのですが。

DSC00203.jpg最初は、アマンの新妻のナディア。20歳です。
一緒にペシャワールに行きました。
話は戻りますが、実は、ドバイに飛ぶ前に1泊2日で大急ぎでペシャワールを往復したのです。
アマンが、車で同行してくれました。奥さんの実家がペシャワール近郊にあります。
背景は彼女の叔父の家で、ペシャワール近郊の荘園です。叔父は、スイスで時計工場を営み、始終行き来しているそうです。

DSC00195.jpgペシャワールを含むパキスタンの北西辺境州は、イギリス植民地時代にも統治を受ける事なく、独立を貫いたパタン族の国です。
だから、第二次大戦集結直後のいわゆるパーティション(印パ分離)の後も、国の支配を受ける事なく、従って農地改革も行われなかったようです。それがこのような広大な土地所有が続いている理由だと思われました。
この広大な荘園の中の邸宅の居間には、いにしえの銃器類や刀剣類が多数無造作に陳列してありました。

DSC00202.jpg このような歴史的な状況があって、現在でもカラチに陸揚げされた北西辺境州向けの船荷には課税されない。
そこは、パキスタンであってパキスタンでないがごとき状態が続いていて、パキスタンの軍隊も手が出せません。
数年前アフガン難民局の前長官のイムラン・カーンのドライブで、アフガニスタン国境の難民キャンプを視察した時のことです。
ペシャワール郊外のバザールを走り抜けながら、並んでいるマシンガンや、パズーカ砲を指差しながら、イムランは、
「ここでは、天国以外は何でも手に入るんだよ」といったものです。そうしたあたりに、ビンラディンは潜んでいると思われます。

DSC00212.jpgこれは、ぼくがちょっとびっくりしたものです。
世界中あらゆる飛行機会社がプラスティック製のナイフフォークを使うようになっています。
機内には凶器となる危険性があってはならない。この考えはどんどんエスカレートしてゆき、JALなどでは、一時爪切りも危険物扱いだったこともあるし、ライターも一個に制限されています。
そうした世界の情勢の中で、このPIA国内線のステンレスのナイフフォークにはちょっとびっくりました。
さすがパキスタンという感じ。使い捨てでない良さを取っているのかもしれません。

DSC00186.jpgついでにこれは何でもない写真。
イスラマバッドのマリオットホテルのJason’s Steak Houseと云う店のトマトスープです。
その細工に感心して写真に撮ったのですが、考えてみれば同心円を作っておいて、ナイフかなんかでカットすれば出来るんではないかと気付きました。なんじゃいこら。
この店のWagyuという300gの和牛(外国育ちの日本牛を外国でもそう呼ぶ)は、その値段なんと日本より高いくらいです。
興味に駆られて、実物を見せてもらったら、なるほどきれいな霜降り肉でした。たぶんオーストラリア産の和牛と思われました。
食べてみましたが、たいしたことはなく、損した気分になりました。

でも面白いことがありました。
このステーキハウスにアマンがくれたカベルネソービニヨンのフランスワインを、白ナプキンでくるんで持ち込んだのです。この国では、プライベートでない空間での飲酒は禁じられています。
でもぼくは、こうしたやり方でお酒を飲んだことが何度もありました。
ボーイに「グラスを持って来てちょうだい」と命じると、
「グラスで飲む事は困ります、カップで飲んでください」といって、そのワインをじゅ房に持ち去ってしましました。なんだか意味が分からずぽかんとしていると、ティーポットとカップが運ばれてきました。なるほど。これなら紅茶を飲んでるのかワインを飲んでるのかは分かりません。ポットには何も入っていません。カップが空になると、厨房に持ち去り注いで来てくれます。
紅茶カップでワインを頂いたのは、初めての経験で、なかなか新鮮でした。

さて、上記のInvitation Letterの効用は、予想していたより早く、ドバイ行きのチェックインで現れました。
Airblueのcheckin counterの女性は、パスポートを見て、「single entry Visa だからドバイには飛べない」とチェックインを拒否しました。
そこでこの文書を見せると、別の上役の女性を呼び、彼女は空港係官を呼び、彼がパスポートを持ち去りました。
しばらくしてパスポートが戻されると同時にチェックインが可能となったのでした。

Airblueのドバイ便は、エアバスA-32で、なかなかきれいな機材です。
同乗の200人ばかりの乗客は、ほとんどがパキスタン人の労働者です。彼らはドバイに出稼ぎに行くようです。
この事は、ドバイに着いてみて納得がゆきました。ものすごい建築ラッシュです。特に市街地周辺で建設中の高層ビルが林立していました。
快適なフライト2時間足らずでドバイ着。ちょうどカラチーイスラマの距離です。
パキスタンから旅行者のぼくは、ひどくきれいで、あまりに近代的な高層ビルに驚きながら、光きらめく高速道路のような夜の市街地を走り、HolydayInn downtawnに投宿しました。

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