シェルマンキャンプの後、ぼく達はまっすぐにホテルに戻りました。イムランは、ペシャワールのホテルまで、ぼく達を送り届けると、そのままイスラマバードに戻ってゆきました。
ぼく達も一緒に帰っても良かったのですが、もう一泊することにしました。
ぼくは久しぶりにキサカニバザールにも行ってみたかったし、初めての土田君は、ガンダーラ仏像で有名な、ペシャワールミュージアムを見ておいた方がほうがいいと思ったからです。
ぼくが、キサカニバザールに行きたかった本当の理由は、もちろんその変化振りもですが、狼のロシア帽を買いたかったからです。この帽子は、いつもスキーのときにかぶることにしているのですが、もうだいぶくたびれてきたので、新調したいと思っていたのです。
ラマザーンの最中なので、バザールは早く締まります。
ぼくが、ホテルの売店で「もうバザールは閉まったかなあ」と話すと、若い男が
「サーブ、何が欲しいんだ」と訊きます。
ところが、狼の帽子、ウルフカトッピ−。ウルフのトッピ−。トッピ−は帽子なのですが、狼をウルドゥ語でなんと言うのかぼくは知りません。
困ったぼくは、絵を描こうかと思ったのですが、スケッチは苦手です。
それで、「パハールメ(山の中)、クッター(犬)」。これで一気に通じました。
買いに行ってくれ。5つか6つ持って来い。選んで2・3個買うから。
この夕暮れ時、断食が終わってほとんど人気がなくなる時期にバザールに行くと、帰りは暗くなって物騒。なんとなく気が重かったぼくは、ホッとしました。
店を出て、ロビーに向かっていると、後ろから、
「帽子ですか。帽子が欲しいんでございますか。ぼくが買ってきましょう」
「もう頼んだよ」
「駄目。駄目。彼には無理です。交渉できないから」
それは、マンズールという日本に6年いて、キーパンチャーをやっていたという男でした。
この40歳台の男は、ぼく達がホテルに着くなり、ペラペラと日本語を操り、いろいろ世話を焼き、「アフガニスタンのビザなら、すぐに取ってあげます」
なんでも、180$で取れるのだそうです。うまく聞き出したところでは、180$のうち、20$は、アフガン大使館にゆき、60$が、大使館員のポケットに、彼には100$入るのだそうです。こうゆうことを、ぺらぺらしゃべるこの男は、日本人をなめている。ぼく自身もなめきっている。あまり信用できないと思ったのです。
それにしても、アフガンビザを取るのは、イスラマバードでも結構大変ということになっています。ここにきて、180$で取れるとしたら、結構な話ではないか。そういえるのかもしれません。
1時間程すると、彼が帽子を3つ持って現れました。一個の値段は5000ルピー。
全く法外な値段です。ぼくは、かつて何回も300か400で買っていました。
「高すぎる」というと、彼は、「でも、ぼくの頼んだ人はその値段で買ってきたんです」とすましたものでした。
「いらんよ。それにサイズも合わない。明日自分で行くから結構」
「ああ、そうでございますか」と、あっさり引き下がりました。
翌日、バザールに出かけ、ぼくは自分で買ったのです。値段は、500ルピー。
頭に来て、ぶち切れてしまったぼくは、ホテルの全部の売店の男たちに、「マンズールは、うそつき野郎(ジューティーワラ)だ。アラーの罰が下るぞ(アッラー、マーレーガ)」と触れて回ったのです。
売店の人々は、日本人が来る毎に「おれがうまく話をしてやる」といって、高いコミッションを要求されていたらしく、ひそかに大喜びのゼスチュアしていました。
その後、ぼくに何かを売ろうとする毎に、どの店も「この店は、マンズールとは無関係だ」と強調するようになったのは、傑作でした。
帽子以外にも、色々腹立たしいことが起こったので、土田君は、インターネットで広報して、奴をつぶすといきまいていました。インターネットには、そういう情報を自由に書き込めるサイトがあるのだそうです。
翌金曜日の午後、ペシャワールの北西辺境州アフガン難民局が差し向けてくれた車で、ホテルを2時半発。イスラマバードには5時半に着きました。
この時になって気付いたのですが、ぼく達の乗った車は、これまで一度も料金所で料金を払わなかった。
岩橋によれば、車のナンバーの色で政府関係と分かるのだそうです。後でアマンにこの話をして、「日本ではそういうことはないと思う」といったら、
彼は、「そうです。パキスタンではそうなっている。だからこの国に進歩がないのです」とやけに憤慨していました。
高田直樹