14.みんなでやりましょう


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 化学実験の時、試験管に試薬を注ぎ入れる操作があったとします。一人の生徒が試験管をとる。別の一人がすかさず試薬ビンをとりあげると、もう一人が、スッと栓を抜く。構えた手の試験管に試薬は見事に注ぎ入れられ、四人目の生徒が、「もうちょっと」などといいながら、試験管を睨んでいます。
 それは、まったく見事ともいうべき協同動作で、ぼくはいつも感心してしまいます。とても、あんな具合には、自分はできない。感嘆しながら、なぜか、イライラしてくる。もともと、こんな操作、一人で出来るではないか。一人でやるべきもので、四人でやったんでは、みんな四分の一人前ではないのか。
 スキーのシーズンに、いつもゆく知人の別荘でも面白いことがあります。常連の場合、たとえば誰かが皿洗いを初めたとしても、知らん顔をしている。ところが、初めて来た人は、誰かが皿洗いを始めると、急いで一緒にやろうとする。誰かが掃除をやりだすと、自分も一諸にやろうとする。そして、かりになんか仕事をする気が起こったとして、その時、一人ででも出来る仕事をしている人の手伝いをするのではなく、その状況に於て、自分が最も有効に働ける作業、動作を適確に見出せるようになるまでに、やはり数日はかかるようです。
14-1.jpg いつまでたっても、そういう風にゆかない人もいるようです。そんな人は、暗黙のうちに、あかん奴という烙印を、みんなから押され、自然に排除されてしまう。面白いことに、どうやら、学校でのいい子で優等生ほど、一緒にやろうとする傾向が強いようなのです。
 こうゆうことが起こってきたのは、どうやら、小学校、中学校の教育のせいではないのかしらん。ぼくは、一人合点に、そう考えています。なんでも、〈一緒にやりましょう〉と教えた結果ではないのだろうか。
 高校入試の前日、ぼくは、同じグループになった一人の先生と面白い問答をしました。一つの教室を三人の教師が一グループで担当することになっていました。一人が監督二人が採点というシステムでやりますから、一時間目だけは三人は必要ないのです。一人の先生にぼくは、早く来れるかとたずねました。「いや、来れへん」という返事です。
「そうですか。それじゃ、ぼくが来ます」
「いや、ワシも来るし」
「来れるんですか。来れるんやったら来て下さい。ぼくは来ませんから」
「いや来れへん」
 と、いう問答を何度もくり返したんです。結局、ぼくが来たのですが、〈一緒にやる〉には、あるいじましい平等主義と近視眼的な均等志向がある。そんな気がしました。
 昨年(一九七九)、ラトック1峰遠征の折、隊員のマツミは、一人で、乾燥あげを煮しめ、飯をたくと、いなりずしを作り始めました。休養日のことです。誰も手伝いません。
 おいしいいなりずしを頬張りながら、エンドウが、「手伝わずに、喰うばかりで悪いなあ、マツミさん」というと、彼は、諏訪弁で、
「いや、オレ一人でごちそうした気分にひたれるにぃ。それがいいだよ」

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 ラトックから帰ってくると、顧問不在で、夏山合宿ができなかったにもかかわらず、大量に入部した山岳部一年生は、比良山に行ったとかで張り切っているようでした。
 ぼくは、出来るかぎり、個人山行をするようにアドバイスしました。
 あんなあ、ぎょうさんで、みんなみたいに二十何人も一緒で、ぞろぞろ歩いとるやろ。道探すのは、先頭の一人か二人や。あとは、何にも考えへん。アホみたいにくっついてるだけや。何の勉強にもならへんで。
 楽しかった、面白かったと、その集団での山歩きを報告し、予定ルートを間違って歩いてきても、何の失敗意識もない彼等に、ぼくは、集団主義のある無責任さを感じたのです。
 それ以後、彼等は、いわれた通り、個人で歩いているということでした。ある時、よく問いただしてみたら、一人で歩いてはいるのだけれど、全く一人では怖いので、声がとどく位の距離だけ間をあけて、歩いている。夜寝る時は、合流するのだそうです。これにはぼくも二の句がつげず、「フウーン」 と感心していたんです。
 岩登りを教えてほしいと、強くいうので、二回ばかり、大原のゲレンデにゆきました。岩登りというのは、失敗すると落ちる。もちろんロープを着けるけれど、そうするとこんどは、墜落した奴に引きずり込まれることもあり得る。落石に当ることもある。という具合で、ふつうの山歩きの何倍もの危険率があります。
14-2.jpg もし事が起ったら、ただでは済まんやろなあ、という気がいつもします。もしぼくが素人だったら、高校生には無理やとか、禁止されてるといって、止めさすこともできるでしょう。でもそうはいかない。だいたい普通の山歩きのコースでも、岩の部分は出てくるし、基本的な技術は安全のために必要です。それに、止めても、行く奴は、勝手に行くに決っている。その方がよほど危険です。
 大原には、前日から行って、キャンプします。ぼくは、後から、夜中になって合流するのが常です。彼等は、ヒート・パックのカレーなどを喰い、「胆だめし」などをやって遊んでいる。これは、面白いと思いました。
 未開部族では、成人のイニシエーション(通過儀礼)として、いろんな「胆だめし」があります。彼等は、自分達だけで、もうこの現代文明社会で失われた通過儀礼をやっている。そんな気がしたのです。
 五月の連休に、新しく入った一年生を連れて、由良川源流に行く合宿計画を持ってきました。総勢で一九人だそうです。ぼくも参加することにしました。ただ、引率するという形はとらず、OBの京大生等三人と組んで、別パーティが同行するみたいなことにしたのです。
 食糧も全く別で、山菜などをふんだんに喰いながら歩き、傍らの彼等をうらやましがらせる、というちょっと陰険なたくらみでした。
 たき火の経験のない彼等は、火をぼんぼんもやし、豪勢に食事するぼく達に、少し驚いたかも知れません。でも、ぼくも、彼等には、びっくりさせられたのです。

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 地図が読めないとか、徒渉点の選定がまずいとか、そういう技術的なことではなく、ぼくが驚いたのは、彼等の食事でした。
 食糧を、個人個人が用意しているのです。数人で一緒というのもありましたが、基本的には個人です。ある奴が、ボンカレーを作っていると、その隣りでは、かつおフレークの缶詰を開けている。
 ひょっとしたら、オレは個人個人と強調しすぎたのかな。そう思って、たずねてみると、答えは意外なものでした。理由は、驚いたことに荷物の量にあったのです。個人が個人の食糧をもっていると、荷物が平等に減っていく。ところが食糧をまとめて持つと、毎日、荷物の調整をせねばならず、もめる。そういう事で、自分のメシは自分で持ち、自分で作るということに、前からなっているのだそうです。
「合宿と個人山行は別やで」とぼくはいいました。荷分けはリーダーの権限でやったらいい。合宿ではみんな同じものを喰うことにした方がよいとぼくはアドバイスしました。分りました、そうしますということで、夏山合宿になりました。夏山合宿の準備会にゆくと、サブ・リーダーが黒板に、装備の荷分け品目を書き出して、くじ引きをやっています。
14-3.jpg だいたい彼等は、くじ引きやじゃんけんが大好きです。誰かが、例えばリーダーがパッパッと決めればいいものを、いちいちくじ引きで決める。それが最も民主的なやり方だと思っているみたいです。リーダーは、会議・談合の進行係、あるいはくじ引き表作成係みたい。しかし、リーダーにとって、これほど楽なことはない。だって、全ての責任は、「くじ」や「じゃんけん」や、そうした〈決定システム〉にあるのであって、自分にはないのですから……。現代社会の反映みたいで面白いと思いました。
 ぼくは、「もしザイルが、一番スリップする確率の高い一年生に当たって、そいつが谷底に落ちたらどうなるの。もう助けにも降りれへんなあ」とだけいって、この方法に反対しておきました。
 合宿は、有峰から薬師岳を越えて、劔岳までの縦走コースです。現地集合で集まった登山口の折立の朝、先ず問題が発生しました。食糧係が、毎朝の献立のみそ汁に入れるだしの素を忘れたのです。ところが、十数人のメンバーは、いとも寛大で、「まあ、しやあない」と平気な顔をしています。一週間近くもダシ抜きのミソ汁飲む積りなんかなあ。
 ぼくは、源流にも同行した京大山岳部員のOBと一人の高校生の二人を、有峰口まで買出しに降ろすことにしました。二人の荷物は、他の者が分けて持つ。夕方までには、追いかけて合流できるはずです。
 降り出した雨の中を登り、その日の泊り場、薬師峠に着いたのは、四時頃でした。大急ぎでテントを張って、茶を沸かし、水筒につめて、買出しの二人を迎えに降るように指示しました。またジャンケンをやり出しかねないので、リーダーと相談して迎えの人選をしたんです。
 ぼくは、自分で張ったテントに入ってしばらくして外に出てみると、彼等は、まだ、一つのテントに六人が群がって、テントを張ろうとしています。ほんとに、〈一緒に張りましょう〉でした。えらく時間がかかって張り終え、食事の仕度を始めました。たずねると、食事当番は決めてなくて、みんなでやるのだそうです。

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 雨はずっと続きそうでした。このままではヤバイという気がしました。ぼくは、リーダーとサブ・リーダーを呼んで、話をしたのです。
 リーダーは全ての指示権と決定権をもっている。そうすることが、全員の安全につながるという全員の了解があってリーダーが存在するのだ。今日のお前みたいにバテていたら、正しい判断などできんではないか。バテると思ったら自分だけ荷物を減らしても構わん。リーダーは、常に全体を見わたして、仕事の分担を指示し、作業が無駄なく効率よく進行する様にするべきだ。具体的には、一つの仕事は原則的に一人か二人でやらす。責任を明確にするためだ。もし失敗したら罰を与えること。今朝みたいに、みんなでシンめしをたいて、しかたなくそれを喰い、一人一人が食器を洗っていたのでは、腹はこわすし、出発はおくれ、全員共倒れになるぞ。
 ぼくは、山では民主主義は通用せん、といいたかったのかも知れないのですが、より正確には、これは「日本の民主主義」というべきかも知れない。
 翌日、薬師岳を越えて、約九時間の行動で間山のテント場につきました。いつもある雪田は消え去っており、水が得られないので、往復一時間半の所にある水場まで、五人が水運びに走ることになりました。激しい雨の中で、残りはテントを張りました。水汲み組のテントの周りに、ぼくに言いつけられて、溝を掘っていた生徒が、
14-4.jpg「オレの寝るテントでもないのに、なんで掘らんならんね」
と、ぼやくのを聞いて、「ああ、ええよ、掘るなよ。そのかわり、水は一滴ものむな。生米かじっとれ」とぼくはいい、彼は驚いたような顔で、「分りました。分りました」といったんです。
 翌日も、もっとひどい雨。この日は、十時間歩いて、暗くなって五色ケ原着。物凄い風に吹かれて、みんなガタガタふるえ、死にそうになって、必死にテントを張りました。所要時間一五分。ようやく、みんなできてきたようでした。食事当番の二名だけは三時に起き、五時には、各テントにお茶を配ります。自分の持ち場で有効に働くことが、全体の、ひいては自分の安全につながる。そういうことが分ってきたようでした。
 劔岳に登って劔沢のテントに帰ってくると、大学山岳部の後輩で、富山県庁の自然保護課に勤めるヨシユキが来ていました。
 ぼく達は、この出合いを喜びあい、酒を汲み交しました。この合宿の経過を話すと、「そら、タカダはん、京都教育やで」と、彼は唐突にいい、こう続けました。
「ワシなあ、娘みとって思うんやけど、富山の教育はひどいもんや。何でも競争、競争。一番になれという教育や。そのせいか、娘はどうも人をバカにしよるみたいや。人をバカにするような教育はアカンで。ワシ、娘は京都のバアチャンに預けて、京都の高校へやろ思うてたけど、今の話でちょっと考えるなあ。」
「ほんまや、京都の高校生は、みんなでテント張ろう思うてるうちに、みんな死による」
「そやけど富山の高校生やったらナ、タカダはん、一人が、あんたこの柱もち、あんたこのポール引っぱっとり、ゆうて、そいつだけ中に入りよる」

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