遥か彼方のヒンズークッシュの山並みを望みながら、ぼく達のランドクルーザーは、赤茶けた山肌の、急峻な斜面の大きく曲がりくねった道を、先導するトラックを追って、結構な猛スピードで走りくだってゆきます。
燃料にするのかあるいは家畜のえさか、小潅木を山のように背負った女性が歩いています。
「タリバーンは、女性の教育を認めなかったんだろ。コーランにはそう書いてあるの?」
「No!。回教は、たいへんフレキシブルな宗教なんです。」と、イムランは強く否定しました。
「ぼくは、男よりも女性の教育のほうがより重要だと思うよ。だって、基本的な性格形成は幼児期にされる。つまりほとんどすべてが母親の膝の上(On a laptopof the mather)で決定することになるわけでしょう」
「全く同感です」
等と話しているうちに、車は大きく開けた谷に出ました。
 さらにしばらく走ると、谷の左手の山側の広い扇状平原に、小さな建物が点点と広がって点在しているのが望めました。
さらにしばらく走ると、谷の左手の山側の広い扇状平原に、小さな建物が点点と広がって点在しているのが望めました。
それが、シャルマンキャンプで、もっと新しくかつ国境に近い難民キャンプなのだそうです。
看板にSERMAN Ger’s Campと書いてありました。ドイツのNGOがドナーとなっているようです。
数百をこえる、細長い黒色の石片が乱立する墓地の傍らを走り抜けると、金網で囲った区画が現れ、それがシャルマンキャンプの入り口でした。銃を持った警官が2人立っています。
 5人の管理官に迎えられ、イムランは、いつものように、They are a delegationfrom Japan. Mr.Takada is a owner of CreateJapan. とわれわれを紹介してゆきます。
5人の管理官に迎えられ、イムランは、いつものように、They are a delegationfrom Japan. Mr.Takada is a owner of CreateJapan. とわれわれを紹介してゆきます。
いろいろな大きさのテントが、適当に建てたという感じで立っています。
大きな家型テントに入るとそこが事務所でした。
がらんとしたテントは、下には養生シートのようなものが敷いてありました。奥の方の右手に大きなデスクがあり、左手に木の肘掛け椅子が10脚ばかり壁に沿ってL字型に置いてありました。
このキャンプで働いているのは、すべてパキスタン人で、外国人はいません。倉庫。学校。診療所(BASIC HEALTH CENTER)。パン焼き場。石油貯蔵槽。貯水槽。などなどがあるそうです。
草木絶えたこの荒野では、当然水はなく、7台の給水車が遠くの村の井戸で汲んだ水を運んでくる。食料や燃料その他は、すべてペシャワールからトラックで輸送しているのだそうです。
普通なら、ここでお茶が出るところなのでしょうが、いまはラマザーン。すぐに学校を見に行くことにしました。
 でも彼らが最初に案内したのは、倉庫テントでした。
でも彼らが最初に案内したのは、倉庫テントでした。
中で充分バスケットボールのゲームが出来るくらいの大きさのテントには、物資が並べてあります。
テントは、3棟が壁を接して並んでおり、最初のテントには、ストーブ、煙突などの暖防具。オイル用のポリタンク。ポリバケツなどもありました。
食料テントには、ダル(豆)、アタ(小麦粉)、ギー(食用油)などが、壁際に沿って、一応整理された形で積んであります。
 最後のテントは、衣類などのテント。シートや、マット。靴や布団に毛布。古着などもありました。すべては、壁際に細々と積んであるという感じで、心配になったぼくは、サプライは充分なのかと尋ねてしまいました。問題はないとのことでした。
最後のテントは、衣類などのテント。シートや、マット。靴や布団に毛布。古着などもありました。すべては、壁際に細々と積んであるという感じで、心配になったぼくは、サプライは充分なのかと尋ねてしまいました。問題はないとのことでした。
 テントの裏側には、大人子供を含めての長蛇の列が出来ています。石炭の配給を行っているのでした。小さな机に座った係官が、ノートに拇印を押させ、各自が持つ証明書のコードを書き写していました。
テントの裏側には、大人子供を含めての長蛇の列が出来ています。石炭の配給を行っているのでした。小さな机に座った係官が、ノートに拇印を押させ、各自が持つ証明書のコードを書き写していました。
それは、昔ぼくが、遠征のキャラバンの終わりで、ポーターに賃金を支払っている情景と同じでした。列の割り込みのためにいさかいが起こる所までそっくりです。警官が飛んでいって制止していました。
この1万1千人の人々に、毎日毎日、35グラムのアタの配給を行うだけでも大変な作業と思えました。
 次は、学校です。
次は、学校です。
学校は、午前中で終わったということで、生徒はいません。学校とはいってもそれは、20畳大のがらんどうのテントだけ。5人の女性の先生が現れ、ぼく達と挨拶を交わしました。
 見渡す限り、砂利と砂の平原の中に、テントや泥でできた家が、不規則に点在し、ガールズスクールといっても、20畳大のテントが5張り立っているだけなのでした。中は、黒板がポールに立てかけられていますが、地面むき出してシートはありません。この中に50人ほどが座るのだそうです。
見渡す限り、砂利と砂の平原の中に、テントや泥でできた家が、不規則に点在し、ガールズスクールといっても、20畳大のテントが5張り立っているだけなのでした。中は、黒板がポールに立てかけられていますが、地面むき出してシートはありません。この中に50人ほどが座るのだそうです。
 外には、シートで囲ったトイレとおぼしき物が2つ建っていました。
外には、シートで囲ったトイレとおぼしき物が2つ建っていました。

 冬がやってきたらどうなるのか。
冬がやってきたらどうなるのか。
少々肌寒さを覚えたのですが、すぐ隣に土塀で囲われた建物が建造中で、この学校は、後2週間で完成するそうです。
これも見に行くことにしました。昨日のアザヘールキャンプの学校よりは、しっかりしたもので、これなら冬の到来にも間にあうことでしょう。
遥か上方には、やはり数日で完成するというボーイズスクールが望めました。
続きはすぐに。
高田直樹

 しばらく走って、左折れするとそこに大きな北西辺境州アフガン難民局のビルがありました。
しばらく走って、左折れするとそこに大きな北西辺境州アフガン難民局のビルがありました。 長官室に入り、挨拶を交わし、恰幅のいい長官の説明を聞きました。
長官室に入り、挨拶を交わし、恰幅のいい長官の説明を聞きました。 玄関では20人を超える人達の見送りを受けました。反対側には、着飾った5人の儀杖兵が一列に直立不動で立っており、岩橋がカメラを向けていました。
玄関では20人を超える人達の見送りを受けました。反対側には、着飾った5人の儀杖兵が一列に直立不動で立っており、岩橋がカメラを向けていました。 カブールに続く街道を右折れし、ジャムロードの集落を抜けて谷の道に入りました。九十九折れの道を登ります。そこここの山の上に望楼やお城(シャンガイフォート)が見え、それらはみんな昔、英国が作ったのだそうです。カイバル峠というポイントは特になく、この辺全体をそういうんだよと、イムランが説明しました。
カブールに続く街道を右折れし、ジャムロードの集落を抜けて谷の道に入りました。九十九折れの道を登ります。そこここの山の上に望楼やお城(シャンガイフォート)が見え、それらはみんな昔、英国が作ったのだそうです。カイバル峠というポイントは特になく、この辺全体をそういうんだよと、イムランが説明しました。 10時40分、分水嶺の峠を越えると急に前が開け、遥か彼方に雪を頂いたヒンヅークッシュの山並みが、白い線のように左右に伸びていました。
10時40分、分水嶺の峠を越えると急に前が開け、遥か彼方に雪を頂いたヒンヅークッシュの山並みが、白い線のように左右に伸びていました。
 それぞれの部屋が教室になっていて、30人ほどの少女が、清潔な淡い青色のシャルワルカミーズを着て、ござの上にぎっちりと座っています。
それぞれの部屋が教室になっていて、30人ほどの少女が、清潔な淡い青色のシャルワルカミーズを着て、ござの上にぎっちりと座っています。 一年生は、ウルドー語を勉強中で、まだ完全に聞き取れません。そばの教育担当コミッショナーが、パシュトーン語で通訳しますと言うので、ぼくは少しだけ挨拶しました。
一年生は、ウルドー語を勉強中で、まだ完全に聞き取れません。そばの教育担当コミッショナーが、パシュトーン語で通訳しますと言うので、ぼくは少しだけ挨拶しました。 6年生になると、英語を学び始めます。英語で話してやってくださいということなので、また少し話しました。
6年生になると、英語を学び始めます。英語で話してやってくださいということなので、また少し話しました。 学年二クラスというのもあるので、足らない分は、戸外のフライシートを張った下にシートを敷き、教室としています。
学年二クラスというのもあるので、足らない分は、戸外のフライシートを張った下にシートを敷き、教室としています。 屋内のクラスは、辺地教育調査隊の時のイメージで、暗い部屋の中で、手に小さな黒板を持って石墨で字を書くのです。
屋内のクラスは、辺地教育調査隊の時のイメージで、暗い部屋の中で、手に小さな黒板を持って石墨で字を書くのです。 このあと、ボーイズスクールを見ました。基本的にはガールズスクールと変わりませんが、どうも身なりが、少女達のほうが、綺麗なような気がしました。
このあと、ボーイズスクールを見ました。基本的にはガールズスクールと変わりませんが、どうも身なりが、少女達のほうが、綺麗なような気がしました。 この二つの学校を見ているときに、ドクターイムランが、彼らに必要なものは、実験室じゃないかなと、言ったのです。来る途中、ぼくはこんなことを話していました。
この二つの学校を見ているときに、ドクターイムランが、彼らに必要なものは、実験室じゃないかなと、言ったのです。来る途中、ぼくはこんなことを話していました。 鉛筆、紙、教科書などは、絶対に必要なものではある。でもそれが既に与えられる態勢が出来上がっているし、みんな使えばなくなるものでしょう。
鉛筆、紙、教科書などは、絶対に必要なものではある。でもそれが既に与えられる態勢が出来上がっているし、みんな使えばなくなるものでしょう。 この実験室のアイデアは大いに気に入りました。なにしろイメージが湧くのです。
この実験室のアイデアは大いに気に入りました。なにしろイメージが湧くのです。 「あなたのような方に運転させて恐縮ですと言うのは、どういえばいいの、そう言って」というので、
「あなたのような方に運転させて恐縮ですと言うのは、どういえばいいの、そう言って」というので、
 アフガンカーペット・イスラマバード支店へ表敬訪問。
アフガンカーペット・イスラマバード支店へ表敬訪問。 それからナジールサビールの事務所へ。ここで、ラホールへのエアティケットとホテルの手配を、事務官のスルタンに依頼。
それからナジールサビールの事務所へ。ここで、ラホールへのエアティケットとホテルの手配を、事務官のスルタンに依頼。 ここでは、当方4人に相手方6人がミーティングを行いました。
ここでは、当方4人に相手方6人がミーティングを行いました。 
  とはいえ、われわれ異教徒にとっては、何の関係もないのですが、みんなが空腹を我慢している前で、食べたり飲んだりするのは、やはり少々気になります。
とはいえ、われわれ異教徒にとっては、何の関係もないのですが、みんなが空腹を我慢している前で、食べたり飲んだりするのは、やはり少々気になります。 さすが、カラチの
さすが、カラチの
 名刺:
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