旅はBirdyを連れて(3)

 アムステルダムは、自転車の町です。
 ほとんどの道路には、幅1mほどの自転車用の区画があって、自転車のマークが書いてあります。
 この運河が縦横にはしる狭い町の道路を、市電と自動車と自転車が見事の共存しているのは、日本では理解の外と考えられます。
 市電の停車場の横では、自転車と自動車は並走できませんが、自転車が走っていると、自動車は無理に追いこさず、待ってくれています。
 なにしろ、自転車を足として使う市民が多いので、自転車での走行は、日本のように危険ではないようです。

 もう4・5年も前ですが、町中至る所に張ってあった、キャンべ—ンポスターの文句は、「吸っていいですかと聞きましょう」という、喫煙マナーに関する標語でした。
 いかに共存するかが、この国のテーマと思われます。
 以前友人のパベルがアパート暮しの頃、階下から始終ドンドンと床に響く音が聞こえました。パベルは、下の住人が、音がうるさいと棒で天井を突いているのだといいます。古い建物なので、歩くだけで床がきしむのです。
「気にしなくていい」と、パベルはいい、日本の友人が来たんだと、後でプレゼントのお裾分けでもしておけばいいんだといっていました。そのときぼくが思ったのは、共存するためには、お互いに耐え忍ぶことではなく、不満を言い合って折れ合うことだということでした。耐え忍べば、どこかで爆発します。うまく共存は出来ません。
 そういう共存の精神がなければ、ワークシェアリングの先進国オランダから学ぶことはできず、日本の「ワークシェアリング」は、かけ声だけに終わるのではないかと思われます。

 ところで、旅の日程も半ばを越して、本当なら今頃は、ベルギーのブルージュにいるはずなのですが、実は、そうではありません。ベルギー行きは中止しました。理由は、ぼくが、またやってしまったのです。
 ニースを出るときに、セキュリティチェックで、腕時計とパームパイロットを置き忘れたのです。
 アムステルダムに到着後、調べてもらい(これは大変なことでしたが)、現物は確認出来ました。ところが、外国での遺失物は、管轄外ですし、KLMのオフィスはニースにはありませんから、その遺失物を送ったりするのは、ほとんど無理に近いのです。意を決して、取りに戻ることにしました。

 翌日つまり昨日、早朝アムステルダムからニースにとび、夜の便で取って返す、とんぼ返りをTransavia航空ですることにしました。
 トランサビア航空とは、ほとんど知られていないエアラインですが、KLMが作った会社のようです。イージージェット航空という大変割安のエアラインが出来たので、それに対抗してトランサビアが出来たのではないかと思います。
 ニースまでは、一時間半ほどで、のぞみで東京に行くのより早いのですが、値段は同じくらいです。9時前にニース空港着。ローストアンドファウンドデスクで、英語の全く分からないおばちゃんと押し問答の末、パームと時計奪還に成功。
 帰りの便は夜の九時なので、ニースの街に出かけることにしました。
 ニース空港から、ニースの海岸目ぬき通りまでは、20分ごとにバスが運行しており(3.5ユーロ)、まるでニセコのペンションの巡回バスのようです。プロムナードを散策し、ゆっくりした昼食を楽しみました。

 お昼に、豪華な食事を取ったので、夕食は、空港のレストランで、軽くすますことにしました。連れのともがチキンとアボガドのサラダをほとんど食べ終わった時に、その中のガラスの破片を発見したのです。
 ぼくは、ウエイトレスの若く可愛いおねえさんに、「これがあった。ベリーデンジャラス」と繰り返したら、彼女は何か答えましたが、意味が分かりません。シェフという言葉だけが聞こえました。それで、その皿を運び去り、知らん顔をしていました。
 シェフがやったことで、私は知らんことですと、言ったらしいなと思いました。もう出発の時間も迫っているし、「責任者を出せ」と言うほどリキもありません。
 勘定を頼んだとき、おねえさんは、サラダのお金はいりませんからと言ったのです。日本では考えられない筋書きで、びっくりしました。

 今日は、小雨の中を濡れるのをものともせずに、ピュリッツァホテルからローキン、ダム広場、ホテルオークラと走り回りました。自転車は、実に便利です。タクシーなど全然必要ないし、飲み過ぎ食べ過ぎの身体にもいい。
 今日あちこちで、「素敵な自転車だ」と多くの人にいわれました。ほとんどの人が、BDー1は日本製だと思っているようです。
 なぜかと考えたら、日本人は小さなものを作るのがうまいという事になっているからのようです。
 ある若者は、ぼくのバーディのことを、ビューティフルを連発してほめた後、「日本人は小さいものスマートなものを作る。車もそうで、アメリカ車はだめだよ」といったものです。いや、これは実は、ドイツパテントで、台湾製なのだとは、言えなくなってしまいました。

ブルージュは駄目になりましたが、アムステルダムの街を縦横に走れて結構ご機嫌です。今日は日曜で休みでしたが明日はやってることを確かめたので、ホテルオークラで散髪をして、明後日には、帰国の途に付く予定です。
では、これにて。
高田直樹

旅はBirdyを連れて(2)

 ここリモーネピエモンテは、イタリアはピエモンテ州の南の端、東のフランス国境に位置する山のリゾート地です。リモーネというのは、レモンという意味で、レモンの産地で、レモンリキュールが出来ます。
 ピエモンテとは、山の裾という意味で、州都のクーネオは、なんとなく大町を都市にしたという感じのところで、雪を頂いた山がせまる、なんともいい感じの町です。

 ピエモンテというと、日本ではピエモンテ産のワインでのみ名が知られいるだけですが、それだけではなく、リモーネピエモンテは、スキーで有名なところです。
 ホテルのマネジャーのベッペさんが、見せてくれたアルバムで、なんとなく見覚えのある顔があると思ったら、なんとあのステンマルクでした。彼はいつもここにきていたのだそうです。

 この界隈では今のところ、日本人観光客はもちろん、日本人には全くお目にかかりません。珍しいせいかジャポネはけっこう親切にしてもらえるようです。
 2006年の冬季オリンピックは、トリノで開催されるのですが、ここもコースに使われます。そのときになったら、日本にも名が知られ多くの日本の観光客が現れることでしょう。そして、ミラノの現在のように、日本人というだけでぞんざいに扱われるようになるのではないかと、少し心配しています。

 いま投宿しているホテル・エクセルシオールは、滞在型のホテルで、台所などが完備しています。もとモナコ王子の別荘だったところだそうです。
 国境のトンネルを抜けてワインディングを走り下ると、リグリア海岸のベンティミリアにいたり、ここから高速道路を走るとすぐにモナコです。リモーネから二時間足らずで着いてしまいます。高速道路代は、1.8ユーロ(約200円)でした。

 モナコにBirdyを持って行かなかったのは正解でした。モナコでは自転車で走れるところはあまりありません。なにしろ
斜面に張り付いたような国なのですから。
 モナコグランプリが迫っているようで、準備がたけなわのようでした。
 この国では至る所に公営のパーキングがあり、ほとんどが地下五階(ー5と表示)くらいの規模で設備は大変完備しています。料金は安く一時間までは無料です。スーツケースは、サムソナイトのいいのが買えました。155ユーロとは、アムステルダム空港のほぼ半値近い値段で、信じられない安さでした。

 Birdyですが、今日は昼過ぎから、この前とは反対側のホテルの裏山のコースを走りに出かけましたが、やはり急すぎるダートの道で、非力なエンジンのぼくでは走行不能、登りの2/3は、やはり押し歩き、持ち歩きに終始しました。このコースは、今日のようにエスケープしなければ、2300mほどの縦走路につながるので、山歩きとしては面白いと思いましたが、今はまだ雪があります。

河出文庫表面.JPG
会社から、『なんで山登るねん』文庫版のサンプルが送られて来たとのメールがはいりました。表紙、裏表紙のスキャン画像が付いていましたが、その文がなんともすごいので、添付します。

 当地は、明日が最終日。クーネオに行く途中にあるランチアのディーラーで、日本では入手が困難な部品などを購入する予定。
明後日早朝に、車でニースに出て、空路アムステルダムへ。汽車でベルギーのブルージュに向かいます。
高田直樹

旅はBirdyを連れて(1)

 バーディ(BDー1W)は快調です。
 ニースでは、紺碧海岸ぞいの道を20kmほど走りました。海岸沿いには、車道に沿って幅20mほどのプロムナードが続いており、この高台になった道の海岸側にはベンチが並んでいます。
 プロムナードは、散策する人、ローラースケートの人、キックボードの人、自転車などが混然として混み合っています。
 海岸の反対側に、幅約2mのサイクリング道路のラインが書いてあり、高速で走る人はここを走ります。でも、ヘルメットを着けてドロップハンドルのロードサイクルの人は、車道を車と一緒に走っています。

 昼前にホテルを出て、三時間ほど走り、ビールとシーフードサラダの昼食を楽しんでホテルにかえりました。それから、ニース駅に下見に出かけ、ニース〜クーネオの切符を買いました。

 夕飯は、またバーディに乗って出かけ、フランスレストランにバーディを持ち込んで、食事をしました。この辺では、バーディのような自転車はあまりないらしく、奇異の眼差して見られたようです。

 昨日のニース〜クーネオの汽車での移動は、荷物が多く大変でした。クーネオのHerzで、フランス返却の車は貸せないと言われたのですが、インターネットでOKを貰っていると、書面を見せたらなんと650kmしか走っていない新車のアルファロメオが出て来ました。
 ワインディングロードを、アルファロメオの独特快適なドライビングを楽しみながら、リモーネピエモンテに着きました。

 今日は、リモネットまでのサイクリングロードを走る予定で、昼過ぎに出かけました。サイクリングロードということなので、いい道なのかと思ったら、マウンテンバイクでも厳しい道で、半分近くは押して歩かねばなりませんでした。岩あり段差ありの山道もあり、いばらの棘に傷つきながらの行程でした。

 三時間近くかかって、リモネットに到着。カプチーノを飲んで帰路につきました。下りはヘアピンカーブ連続の一般道を走ったので、ペダルを踏むことなく、たったの13分でリモーネピエモンテに到着しました。自重してブレーキをかけ続け、時速45km以上は出しませんでした(バーディには時速が表示されるサイクルコンピュータを付けています)。

 この辺りは、自転車ライダーが多く、車も無理な追い越しをしないようです。来週には、世界の三大レースといわれ、最も過酷な山岳道路レース・ジーロイタリアの88回目レースが行われ、ここリモーネピエモンテは、その出発点となることもあって、おびただしい数のレーサーが走っています。

 リモネットで見かけたおじさんは、バリバリのレーサータイプに乗り、ヘルメットを着けたバリバリの格好をしているのですが、なんとぼくもびっくりするくらいお腹が飛び出しているのです。まずは、日本では決して見られない図柄だと思いました。

2.12_0038MONACO.jpg明日は、モナコまでスーツケースを買いに出かけようと思っています。もう年代物のスーツケースが壊れましたので。アルファロメオで、コートダジュール沿いの高速道路を走るのを楽しみにしています。
 では、また。
高田直樹

追伸
『なんで山登るねん』の文庫版が出版され、連休中には書店店頭に並ぶそうです。

旅はBirdyを連れて(2002年春)

 どうした風のふきまわしか、BD−1 Birdyなる折りたたみ自転車に興味を持ち、即購入。
 その年の春に、このBirdyを携えてヨーロッパはイタリア、フランス、オランダなどを走った記録です。
 イギリスの作家スティーブンソンの『旅は驢馬を連れて』をもじって、「旅はBirdyを連れて」としました。

旅はBirdyを連れて(1)
旅はBirdyを連れて(2)
旅はBirdyを連れて(3)