4月26日
いい天気。窓の外のビルの隙間から青空がのぞく。
9時頃と言ってあったが、寝坊してパベルのアパートに行ったのは10時半だった。ホテルのすぐそば50メートルと離れないところにパベルのアパートがある。
このアパートには妻の秀子と泊まったことがあったのを思い出した。あの時に比べると部屋の絵画の数がうんと増えているという気がした。パベルの父親のパボルが生前に買い足したのだろう。部屋という部屋の壁は、絵画で埋め尽くされているという感じ。
父親パボルは有名な脳外科医であったが、パベル達子供2人を連れて、チェコからオランダに亡命した。オランダの大学では、日本の東海大学からの医学留学生を指導していたと聞いた。母親も脳外科の学者で、パベルは学者夫婦の子供ではあるが、なぜかまったく違った方面の道を進んでいる。
アムステル大学からロッテルダム大学大学院、この頃バンコックでぼくと知り合うのだが、ここを出てKLMオランダ航空社長の秘書になる。数年で止めて、KLMソフトウェアのセールス員として後進国に売り歩く。
ヘッドハンティングされてABMアムロ銀行の副頭取に。ここも数年で止めて、今度は廃棄物処理・リサイクル会社で働いている。町のし尿処理から産廃処理、核廃棄物処理までを扱うという。
ところで、部屋に掛けてある絵のうち一番興味を持ったのを載せておく。何を描いたものなのかを聞こうと思っていたが、忘れて聞きそびれてしまった。
朝食というかブランチを用意してくれていたが、ぼくはまず持参した鯖寿しを食することにした。外国への到着が夜遅くなる時には、いつも鯖寿しを持って行くことにしている。竹の皮で巻いた鯖寿しは日持ちするしどこでも食べられ重宝する。
パベルも美味しいといって3切れも食べた。
今日の予定は、午後のチェコフィルのコンサートのみである。
パベル夫妻とアパートを出て10分足らず歩き、トラムの停車場に着く。そばに大きな教会があった。
「なんと言う教会?」「知らない」
プラハ近郊に生まれたのになんで知らんのかい。ぼくが不服そうな顔をしたからか、パベルは門のところまで走って行ったけれど、分からなかったみたい。考えてみれば、ぼくだって、京都で外人に「このお寺なんという名?」と聞かれて、どれだけ答えられるだろうか。ちょっと気の毒な気がした。
ガイドしてくれるパベル達が選んだのは、トラムでカレル橋の一つ上流の橋の袂まで行き、橋を渡ってからモルドウ川の左岸を下流に向かって歩き、それからカレル橋を渡るという周回コースをにしたようである。
橋を渡ってモルドウ川左岸を行くここ旧市街側の川沿いは、公園風になっていて家屋やレストランもある。その壁がかなりの高さまで変色している。何年か前の洪水の時の浸水の跡だという。そういえばその頃、バペルから義援金の要請メールがきて、知り合いに転送配信したことがあったのを思い出した。
カレル橋は例によって世界中からの観光客でおおいに混雑雑踏している。両側には似顔絵描き、大道音楽芸人などが隙間なく並んでいる。
パベルが突然「ナオキ、あれを撮れ」というので見ると、なるほど絵になりそうなじいさんが座っていた。カメラを向けると「ノー、ノー」といいながら、腕で顔を隠してしまう。隙をうかがってシャッターを押そうとするが、その瞬間を目ざとく察知してしまう。
パベルが「カメラを貸して」とぼくのカメラを持って引き返し、人ごみに隠れて写そうとしたが、やっぱり駄目だったようである。
カレル橋を渡り終えしばらく行くと、ドボルザーク・ホールのある「芸術家の家」に着いた。ここで、午後三時からの、チェコフィルを聴くことになっている。
ともがインターネットで買ったチケットは二階の最後列で余りよい席とは思えなかった。パベルに頼んで、いい席を手に入れてもらおうと思っていた。
ぼくはプラハに来るたびに、オーケストラやオペラあるいは演劇等を楽しむことにしているのだが、切符の手配をしてくれるのはいつもパベルだった。それも当日の開演直前。
「君は隠れていて、その柱の陰に」
そういうと彼はそこここに立っているダフ屋と交渉を始めるのが常であった。
話はなかなかまとまらない。どんどん時間が経って行く。時にはもう一人のダフ屋が割り込んで来たりする。そして、話がまとまるのは、いつも開演の5分前くらいなのである。そして、いつも値段は大体半額くらいになっていた。
パベルは切符を見て、「いい席だよ。換える必要はないのではないか」という。
インターネットで買ったチケットは、1600円くらい。あんまり安いのでよくない席だと思ったのは、早とちりだったようである。今残っている席は最前列のみで、それは止めた方がいいとポーリンもいった。
パベルは、近くのホテルで人と会う予定があると言う。その男は、彼と会うためにはるばるブルーノからやって来た。
「難しい話で、その男は怒り狂っているから、後で会うときにはぼくの顔には青あざが出来ているかもしれないよ」と、パベルは半分真顔で言って去った。
ぼく達とポーリンは、ドボルザーク・ホールのあるビル「芸術家の家」の中にある喫茶室でお茶を飲んだ。
ほとんど満席の会場。高齢者が圧倒的の多い。演奏が始まった。
曲目は、スメタナの交響詩「チェコの森と牧場から」とチャイコフスキー「シンフォニーNo.4」
チェコ・フィルの音は、いかにもという感じの硬質で冷たい感じの音のような気がした。まったく耳に優しくないような感じの音を聞きながら、ぼくは居眠りを楽しんだ。
先日の京都祇園甲部歌舞練場での都をどりでもぼくはよく眠ったが、そういうなのは最高の贅沢だと、ぼくは思っている。