リモーネスキー場便り(2004年冬)

 むかしの山岳部時代のザイル仲間、角倉との積年の約束を履行することにようやくなりました。
 行きつけのイタリアのリモーネ・ピエモンテスキー場に行くことになりました。
 古希に手の届く者たち、でもスキー歴は50年を越えている。そんなグループの珍道中でした。

No.1 「オジンのスキーツァー出発」
No.2 「ホテル・エクセルシオール」
No.3 「イタリアのスキー場とイタリアンスキー」
No.4 「府立大学メーリングリストへ」

No.4 「府立大学メーリングリストへ」

諸兄姉さま
EPV0006.jpg角倉、関田、井川、岩佐の皆さんをニース空港まで見送って、リモネットに戻ってきてアパートに入りました。
アパートの窓からは美しくライトアップされた村の教会が見えます。

EPV0014.jpgリモーネ・ピエモンテのスキー場は、ティーバーリフトがどんどんクアッド・リフトに替わって近代化してきています。
4日間のスキーの後、モナコに移動し2日間を過ごしました。
モナコ迄は、汽車で行く予定だったのですが、線路の復旧がまだなので、レンタカーの返却をのばして、車で行く事にしました。
EPV0015_3.jpg
モナコは、初春の暖かさでした。
ここでは、ミシュランの星付きレストランへ行ったり、カジノで少し遊んだり、優雅な日々を送りました。

EPV0066.jpg夜のカジノ全景です。

DSC00015.jpg13日朝、半時間足らず、一緒に高速を走ってニース空港までみんなを見送りました。

DSC00034.jpgリモネットに戻る前に、モナコのスーパーで、美味しいものを買い込みました。
モナコには、岩山にある王宮の地下にカールフールという巨大なスーパーがありました。

DSC00033.jpgここでゆでエビに、

DSC00021.jpg貝柱に

DSC00027.jpgローストチキン。

DSC00032.jpgシャンパンは、さすがにモナコという感じで大きな棚全部です。
最上段の黒箱が、ドンペリニヨンで、180ユーロでしたが、
そんな物には手が出ません。

では、これにて。
2月14日
高田直樹

No.3「イタリアのスキー場とイタリアンスキー」

04winter3-1.jpg 今回はイタリアスキーとここのスキー場の紹介です。
 背後にそびえる2000メートル級のイタリアアルプスの山頂近くまで広がる広大な3つのスキー場は、左から右に順に、リモーネ1010、リモーネ1400、リモネット1300と呼ばれます。 イタリアンアルプスのCIMA DI PEPINO(2344m)とその右隣FORTE CENTRALE(1908m)の山腹に広がるのが、上記3つのスキー場です。

 これらのスキー場は、リモーネ1010から始めて、登り滑りを繰り返しながら右から左へ移動して、リモネット1300に達し、それから引っ返して、また帰ってくるだけで結構一日はかかります。

04winter3-2.jpg スキー場を紹介してみましょう。 スキーコースの数は46本あって、初級(Easy)は6本。上級(Difficult)は4本。残りは全て中級(Medium)です。 コースの長さは、1キロを超えるものが27本。一番長いものは、5.2キロもあります。これらを、上から下に滑り次ぐと、とんでもない距離となります。
 リフトは、21本。うち8本がチェア−リフト、いわゆる日本でいうスキーリフトです。うち4本がクアッドリフトです。残り15本はすべてお皿のような半球をお尻に挟んで、立ったまま引っぱりあげてもらうもの、こちらでいうリフトです。 (こんな風に、詳しいデータが示せるのは、昨年まではなかった英文のパンフレットが出来たからで、これも2006年のトリノ冬季オリンピックの所為かも知れません) リフトの終点は、大体2000メートルを超えています。森林限界をはるかに越えているので、まあ室堂から天狗山の斜面という感じです。面白いことに、反対側には大日岳にほんとによく似た山があるのです。
 次にリフト料金に付いて書きましょう。 非常に細かいカテゴリーに別れていて、大変複雑なような気もしますが、よく考えられたリーゾナブルなものともいえるようです。単位はユーロ(昨今のレートは、140円です)。まず一日券。

一日券料金表
一日券(Daily ski pass) 26.00
半日券(Short-day ski pass(from 11:30 a. m.) 21.50
シニア券(Senior ski pass(born before 01/01/44) 60才以上 21.50
ジュニア券(Junior ski pass(born after 01/01/90)14才以下 18.50
赤ちゃん券(Baby ski pass(born after 01/01/97)7才以下 無料
午前券(Morning ski pass(until 12:30 p. m.)12時半まで 18.50
午後券(Afternoon ski pass(from 1:00 p. m.)午後1時から 18.50
3時間券(3-consecutive-hour ski pass)連続3時間 18.50
連続した多日券(consecutive multi-day ski pass);相当する日本語がないので仕方なく直訳しました。 これは、さらに、ハイシーズンとローシーズンに別れます。 ハイシーズンとは、2003年の12月20日から2004年1月6日の間と2004年1月31日から3月7日の間です。 ローシーズンは、シーズンの初めから2003年12月19日までと2004年1月7日から1月30日まで。

連続した多日券の料金表(1)
日数 成人 ジュニア(14才以下)
ハイシーズン ローシーズン ハイシーズン ローシーズン
2 50.50 50.50 36.50 36.50
3 72.00 72.00 54.00 54.00
4 91.00 91.00 71.50 71.50
5 106.50 95.00 86.00 77.00
6 120.00 103.00 97.50 86.00
7 134.00 114.00 108.00 95.00
8 146.50 123.00 119.00 104.00
9 158.50 134.00 130.50 113.50
10 169.00 144.00 140.00 122.00
11 176.00 154.00 149.00 131.00
12 183.50 163.00 158.00 138.00
13 189.00 169.00 166.00 146.00
14 194.00 174.00 174.00 154.00
非連続の多日券(non-cosecutive multi-day ski pass);上のカテゴリーと違って、滑らなかった日はカウントされないという多日券です。これは、今年から出来たものです。

連続した多日券の料金表(2)
日数 成人 ジュニア シニア
5 125.00 90.00 102.00
6 147.00 108.00 122.00
7 170.00 125.00 142.00
8 190.00 142.00 161.00
9 210.00 159.00 179.00
10 230.00 175.00 198.00
 次に、Free Cardというカテゴリーがあります。これは、昨年より始まったもので、チップの埋まったICカードで、日本のニセコのもの等と同じ形状をしており、同じように返却時に返還されるデポジットが必要です。デポジット代金は5ユーロ(700円)です。 これ以外のものは、すべて使い捨ての紙カードで、ゲートのスリットに挿入しないといけないのですが、このフリーカードは、胸ポケットに入れておくだけで、ゲートが開いてくれます。 またICカードですから、なくなると追加金を支払って更新出来るし、翌年まで使えます。(昨年始めて出て来た時は、5年間有効を詠っていましたが、変更されたようです) 料金は次のようになっています。

Free Cardの料金表
普通 ジュニア シニア
75.00 52.50 60.00
 私たちは、これを使うことにしました。このカードの説明には、そうは書いてはありませんが、シニアの場合は、一日に20ユーロがカウントされますから、乗った日が3日になると終わりになることになります。いってみれば、non-consecutive 3 days ski passということです。 一日の料金は、60 × 140 ÷ 3 = 2800円ということなります。

 このほかに、各リフトごとに設定されているポイントのみでカウントするポイントカードとか、シーズン券とか、40日券(この券は、買う毎に安くなり、3回目には1/3近くまで下がります)などなど、まだまだあるのですが、これくらいにします。

04winter3-3.jpg ゲレンデの状況に付いて書きます。 どのスキー場も最高点は、2000メートルを越えていますから、雪質はいいといえます。降雪の後等は、キュッキュッという音のする雪ですが、決して柔らかではなく、かろうじでストックが刺さるという感じです。これは、丁寧に圧雪されているからです。 晴天が、数日続くと、ストックも刺さらないようなバーンとなりますが、氷化はしません。エッジを鋭く研いでおかないと安定した滑りが出来ません。

04winter3-4.jpg ゲレンデで気が付くことは、老いも若きも高速で飛ばしている人が多いことです。イタリア人には、スピード狂が多いのかもしれません。広いコースは、完全に整備されており、こぶ等が全くないので、自然にすっ飛んでしまうのです。 白髪の老人が、大声でカンツォーネを唱いながら矢の様に滑り降りていったりすると、イタリアのスキー場という気がします。 こうした大斜面をスピードを落として滑るというのは、それだけ制動を掛けるということで、体力を消耗し、長時間の滑走ができないということです。このあたりが、日本と違う所で、スピードに付いての慣れが必要となる所以です。 ボーダーが極度の少ないというのも、日本と違う特徴です。これは同時にスキーヤーの年齢層が高いということでもあります。ボーダーは、10人に一人あるいはそれ以下です。

04winter3-5.jpg もうひとつ、これは日本にはないヨーロッパのリフトについてです。 日本でいうリフトは、こちらではチェアリフトと呼ばれます。リフトといえば、大きなお椀をお尻に挟んで引っ張りあげてもらう形式のものをいいます。 慣れれば軽快で、立ったままでも結構休めるようで、全く苦になりません。

 じい様スキーヤーとはいっても、みんなスキー暦40年前後という古強者です。それなりに呼吸が合いました。 また、角倉は剣岳東大谷G1初登、関田は穂高岳屏風岩第1ルンゼ第2登、井川はぼくが拓いた剣岳八ッ峰6峰Bフェース京府大ルートの二回目、とそれぞれ記録的な登攀のパートナーでした。
  こんな仲間で、こんな所で、こんな年月を経て、こんな風にスキーが出来るとは、まことに幸せだと思わずにはいられませんでした。 またこの間この広いスキー場で、日本人あるいは東洋人は、ほぼ間違いなく、我々6人だけだったと思います。6人のジャポネーゼは、5日間のスキーライフを充分に楽しんだのでした。

No.2「ホテル・エクセルシオール」

  我々オジンどもが投宿し丁度1週間滞在することになったホテル・エクセルシオールに付いて書きます。 まづは、ぼくがどうしてこのホテルを見つけたかです。

ホテル・エクセルシオール
 04winter2-1.jpg4年前、その時ぼくはともの別荘探しの旅に付き合って、リグリア海岸を巡っていました。この名前、同じ海岸線の続きなのに、フランスでは、コートダジュール(紺碧海岸)イタリアではリグリア海岸と呼ぶ。
 リグリア海岸での最高のリゾートは、ポルトフィーノで、ここでは日本のワンルームマンションくらいの部屋が、2〜3000万もしていました。 とても値が合いません。海岸沿いの主要な街をフランス国境に向けて西に順に移動しながら不動産屋を回る日々を続けていました。 海岸線沿いは駄目だと思ったぼくは、日本にいる時から考えていたように山手に移動することを考えました。
 道路地図を眺めると、リグリア州の山手にはこれと言う場所がなく、北側のピエモンテ州になります。 リグリア海岸から北上する山道のルートがあり、このルートは一旦フランス領に入ってから山を越してピエモンテ州に入ります。 そこにある小さな街、Limone Piemonteという地名が目にとまりました。 フランスと繋がる細い山道、ここはきっと何かいい所ではないか、という気がしました。そこでインターネットで宿を探した訳です。

 4つ星ホテルのエクセルシオールがヒットしてきました。予約のメールを出すと、Beppeさんと言う人が返事をくれました。この人が、後にぼくの定宿になるこのホテルの支配人のベッペさんでした。
 その頃ぼくは、ここが知る人ぞ知るスキーリゾートであることを知りませんでした。ベッペさんが冬の積雪を聞いたぼくに、アルバムを持って来て見せてくれました。 見たことのある顔だな、と思って良く見ると、なんとそれは、あの伝説のスキーレーサー、ステンマルクでした。
 ぼくはかつて、ステンマルクに憧れ、スキー板はエラン、ビンディングはマーカーとステンマルクと同じスキー用具で身を固めていたこともあったのです。 ステンマルクが定宿とするほど、ここがいいスキー場であったことは、大いに驚きでした。

 ベンチミーリアから、北上してゆくと、驚くべき割れ谷の道とはいえ、予想したよりはるかにいい道がぼくを仏伊国境のトンネルに導いたのでした。トンネルを抜けて、15分ほど走り下った所がリモーネでした。 リモーネ・ピエモンテの街は、かつてぼくが40日間滞在したパベルのお父さんの別荘があるスイスのクラン・モンタナを思い出させ、ここが高級リゾートであると知れたのです。   
 そうした場所では、地の人が大変親切でフレンドリーなのが特徴です。この辺がいいぞという気がしたのです。

部屋の台所
 04winter2-2.jpgホテル・エクセルシオールは、ここでは唯一の4スターホテルです。 20世紀のはじめ、モナコ王子が夏の別荘として建造し、その後次第に常連客対象の長期滞在型のホテルへと変わって来たという話です。 普通のホテルとは、大いに趣が異なっていて、特に台所が完備していることは驚くばかり、調理器具や食器類はほぼ完全で、一般家庭と変わらないといえます。どの部屋にも4〜6人が食事出来る大きさのテーブルがあります。 ちょっと意外なのは、バスタブがなくシャワー室のみのことです。

 イタリアンアルプスの山懐のこの街は、8時頃にようやく明るく夜が明けた感じになります。
 リフトは9時から動きだし4時頃に終わります。 街の店は、8時か9時半頃に開きますが、お昼でみんな閉まります。開いているのはバール(イタリアのバー。お酒だけではなくエスプレッソも軽食もある)くらいのものです。3〜4時間のお昼休みが済んで、再び開くのは4時か4時半で、最後は7時半頃に閉まります。
 月曜日の開店は、みんなおしなべてお昼かお昼過ぎ。どうしてかというと日曜日に遊び過ぎてしんどいからなのだそうです。これは、スイスでもおんなじでした。日本人は働き過ぎてはいないかという気がしてきます。

No.1「オジンのスキーツァー出発」

 今年のヨーロッパは、例年になく多量の積雪に恵まれているそうです。 大学山岳部時代の山仲間を誘って、リモーネ・ピエモンテにやってきました。
 1月の9日に関西空港を飛び立ちました。 大学山岳部で同級の角倉との年来の約束のイタリアスキーツァーの始まりです。 一行のオジンたちは、角倉光彦、三年下の関田和雄、さらに3年下の井川裕と三牧建一。それに紅一点の野尻智子、この人はぼくの教え子。高校の時からぼくの傍らで、ソフト開発を見ながら成長したので、僕が考えているコーディングを瞬時に理解できるという特技を持っています。BMW650を乗りこなし、スキーもきわめて達者で、リモネットの山荘のオーナーです。
 このアパートメントは、昨年夏の整備にも関わらず、一行の受け入れにはいまだ不十分なので、我々は当地随一のホテル、エクセルシオールに投宿することにしました。
 エクセルシオールは、もとモナコ王子の別荘だった建物だそうです。DSC00014_1.jpg

 モナコ王国から車で二時間の距離にあるこの辺りには、グレース・ケリーもよく来たそうです。リモネットのアパートの管理をやってくれているマリア・テレーザがやっているレストランの壁には、この店でのレニア王子のスナップショットが壁にかかっています。

 飛行機はいつもの通りKLM。昨年良く乗ったので、マイレージのポイントがたまっており、シルバー会員の資格があるため、ドアサイドで足の延ばせるいい席がオンラインで指定できてしあわせ。
 ほとんど眠り続けてアムステルダム着。 アムステルダムでは、5時間ほどの時間待ちがあります。 荷物をロッカーに入れて、いつもの様に街に出ることにしました。タクシーでローキンのムンク塔の下まで行き、創業200年近い老舗の喫煙店舗ハニエス(ただしマック版IEではうまく動きません)で、葉巻きを買います。ユーロ圏が出来てから、イタリアは外国ではなくなり、空港の免税店の葉巻きが買えなくなったのです。

 小雨そぼ降る中を、ダム広場まで歩き、行きつけのタイ料理屋でトムヤムクンとタイカレー各種でご飯を食べます。いつもの様に機内食でおかしくなっていた胃が、すーっとしてくるから不思議です。 KLMのトリノ便は、夜の9時発。昔乗ったプロペラのフレンドシップ機を思い出させるようなひどくちっちゃなジェット機でした。

 トリノ空港構内のAVISでレンタカーを借ります。同乗者に3名を登録したら、いつもと違ってフルインシュアランスにしてはどうかとすすめられました。全てを網羅した保険にしたらとオネエさんはいいます。 いつもの様にインターネットのディスカウントサイトから申し込んでいるのですが、いつものEuropcarではなくAvisにしたところが、違いました。 150ユーロの追加は大きいと思いましたが、初心者が運転することだし、安心料として支払うことにしました。

 高速道路に乗って1時間ほど走った所で、突然濃霧に包まれました。ともが急にスピードを落とし、先に行ってくれと合図します。霧が出たら大苦手だからそこからはぼくが先に走ると云う申し合せになっていました。 この辺りは常に霧が出ます。この霧が美味しいワイングレープを育てるのだそうですが。 霧の走行は前の車に付いて走るのが秘訣です。ただ車間距離をぎりぎりテールランプが見える距離を保って出来るだけ大きく取る必要がある。 ほとんど真ん前の白線しか見えないくらいの霧の中で、130キロくらいのスピードで前車はすっ飛ぶのでこちらもそれだけ出さねばならない。だから充分な車間距離を取っていないと、よく起こるような50台玉突き衝突というような事態となります。

 高速道路をFOSSANOインターチェンジで下り、クーネオが近付いてきます。
 CENTALLIOの村への分岐点を過ぎる辺りから、雪が現れました。このCENTALLIOは、先頃来た時に家内が千太郎と名付けたので、ぼく達はそう呼んでいるのです。正しくは、チェンターリオと読むのが正しい。「せんたろう」などというのは、ぼくには思いもかけない読み方だったので、おもしろがって言っていたら、とうとう千太郎となった訳です。
  クーネオからどんどん路傍の雪壁が増える中を山間のワインディングロードを30分走り、ホテル・エクセルシオールには、夜中の12時半くらいに着きました。

 日本を飛び立ってからすでに34時間以上が経っているのですが、誰も寝ようとはしません。 関西空港で買った、上等のウイスキーやアムステルダムのスーパーで買ったワインを酌み交わし、空港で買い込んだサーモンやチーズを肴に、みんなで乾杯し談笑していると、すぐに夜明けが近付いたのでした。