10月17日
バンコックで4泊してから帰国しました。
昔からパキスタンに行った帰りにはいつもバンコックで休養してから帰国することにしていました。
ラーチャダムリ通りにあるRegent BANGKOKのプールサイドで1日を過ごし、古いフランスレストランのラ・バンヤンに行くのが常でした。
バンコックには、2002年に2回訪れたのが最後で4年ぶりの訪問でした。
4年の間にバンコックは大きく変わっていました。高速道路が出来たり、地下鉄も出来ていました。地下鉄が出来てもその上のスクンビット通りの渋滞は昔と変わりません。あらゆる場所で渋滞はさらにひどくなったようです。
かつて、スクンビットのソイがおもだったソイバイク(お客を後ろに載せて走るバイク)は、あらゆる通りに拡大していました。
ちょうど日本を出発した日に開港したスワンナプーム空港は、旧空港のように果物や花を売る店はなくなり、やたらブランド店が両側に無機質に配置された長い通路が続いているという感じのもので、アムステルダムのスキポールとは、比べるべくもない感じ。
馴染みのRegent BANGKOKは、Four Seasonsに変わっていました。いついっても、「ウェルカムバック、タカダ」と大声で迎えてくれた顔見知りのページボーイの姿は見えません。
二人のドアボーイがサッと開けてくれた両開きのドアを通ってロビーに入ると、昔と変わらぬ管弦楽の生演奏がなっていましたが、なんだか空気に冷房だけではない冷ややかさを感じました。
今回の宿は、家内の昔の職場仲間の好意で、東レの所有する10階建てのマンションを使わせてもらうことになりました。
若い頃から東南アジアを歴任した芦田さんは、14年前に赴任したバンコックが気に入り、定年後も現地採用の社員としてここに居座っています。
ここYELLOW RIBBON HILLS, Executive mansionには、出来たときから入居しており、7年になるそうです。身体が自由に動く間は、ここバンコックでゴルフを楽しみながら暮らすつもりだといっていました。
2日目の夜、4年ぶりにラ・バンヤンに行きました。このお店からは、毎年のようにメイルをもらっていて、いつかは年代物のシガーを吸う会へのお誘いがきた事もありました。
オーナーのブルーノとコックのミッシェルは、大喜びで迎えてくれました。
ブルーノはいつものように、もみ手をしながら「ボンソワール、ボンソワール」と繰り返していました。
フォアグラテリーヌの味はかつてと同じように美味しいと感じました。牛肉とダックがいまいちと思ったのは、ドバイの後だったせいかも知れません。
バンコックでも、禁煙の法律が出来、公共スペースでの喫煙が禁止されたそうです。だから昔のようにテーブルに、デザートコースのシガーが、ワゴンで運ばれる事はなくなったようです。シガーはカウンターで楽しむことになります。
ぼくがシガーを吸うべくカウンターに移動しようとすると、ブルーノが飛んできて、「ノンノン、そこで吸ったらいい」といってくれました。お客が少なかったからでしょう。
芦田さんに連れられて、ドリアンの専門店に行きました。ぼくたちが大好物のドリアンを土産に持たせてくれるそうです。
ドリアンには、カンナオ、モントン、チャンニの三種がある事を初めて知りました。
普通のものはモントンで、カンナオはなかなか手に入らない。それに今はシーズンではないそうです。
バンコックからは、ドリアンは持ち出し禁止です。どうやって日本にもって帰るのか。
大丈夫です。芦田さんはすまして答え、パインアップルを詰め合わせた20kgの紙箱を作りました。
ドリアンの強烈な匂いは、どうやっても閉じ込めることは出来ないもののはずです。
秘訣は、シャネルのNo.5にありました。
この方法は、彼が編み出したもので、ドリアンをくるんだ新聞紙にシャネルをたっぷりと吹きかける。するとドリアンの匂いはシャネルにくるまれて消えてしまいます。シャネルNo.5にくるまれるとはマリリンモンローではないか。
箱には、バインアップルと書いてあり、空港の検査員は、パインアップルにしては変な匂いがするなあと思いながらも、文句はいわないそうです。
日本の空港では、植物検疫を受けなければなりませんが、受ければいいだけで、実際に問題はありませんでした。
それにしても、シャネルの5番は、そんな高級ブランド香水をじゃんじゃん振りかけて、えらく高くつくのではないか。
いえいえ問題ありません、とこともなげに芦田さん。
バンコックはフェイク天国です。フェイクのシャネルが本物の10分の1の値段で手に入るのだそうです。
そんなこんなで、私たちは神仏の加護を得て、無事日本に戻り、改めてドリアンを味わっているところです。

スキーの前に食事をとっておくべきだと考え、後でここに取って返して、飲茶3品を取りました。
奥に進むとショッピングモールとなり、そして切符売り場が現れます。切符売り場は、スキースクール、スノーパーク、スキースロープと窓口が並んでいます。
スキースロープの売り場のお兄さんに説明を頼みました。
最長400mのコースを含む5本のコースを持ち、これを終始マイナス8℃に保つためにはそんなに高い金を取る必要があるのかなあ。せっかくきたのだから、高くてもしゃあないとしよう。
云われた通り、隣のスポーツショップで、帽子と手袋を買います。これが2800円。
貸しウエアーのコーナーでズボンと上着を受け取ります。次のコーナーで靴を受け取る。靴を持ってスキーのコーナーに行きます。好きな長さのスキーを出してくれ、バッケンを調節してくれます。
少し歩いてエスカレータで上るとガラスの自動ドアの外は一面の銀世界。クアッドリフトが動いています。大きなショッピングモールの一階上は、雪山という感じでなんだか不思議の国のアリス。
それにしてもこの人口スキー場、鉄骨を組んで、急なところでは雪が滑り落ちないように階段状にした人口の斜面であることなど全く感じさせない、自然の斜面のようで、なんの違和感もなく滑走が楽しめました。
ドバイのHolyday Inn downtawn Hotelで、インターネットサーバに接続し、mixiにアクセスすると、突然アラビア文字の画面がポップアップします。
それはそれとして、ぼくはにアラブの連中に対する偏見がある。
最初は、アマンの新妻のナディア。20歳です。
ペシャワールを含むパキスタンの北西辺境州は、イギリス植民地時代にも統治を受ける事なく、独立を貫いたパタン族の国です。
このような歴史的な状況があって、現在でもカラチに陸揚げされた北西辺境州向けの船荷には課税されない。
これは、ぼくがちょっとびっくりしたものです。
ついでにこれは何でもない写真。
エージェントのオーナーのナジール・サビールは、パキスタンの世界的登山家で、パキスタンにある8千メートル峰5座のうち4座を登頂しており、パキスタンで唯一人のエベレスト登頂者でもあります。
アマンというのは古い付き合いのラワルピンディーの絨毯商、シャフィカーンの息子です。イギリスのカレッジを出て、昨年アメリカ生まれのパキスタン女性と結婚しています。
アマンは、ぼくの突然の来パに驚きつつおおいに喜び、すぐにホテルに駆けつけてきました。
ナジール事務所に着いて直ぐ、スルタンにドバイ往復の値段を調べてもらいます。高ければ止めようと思っていました。
夕方、パールコンチネンタルと反対の通りの向側にあるセイロン・ジュエリーのお店を訪れました。 いまはもう、息子の代になっています。
空港にいつもの喧噪がないように感じるのは、この国がラマザーン(断食月)に入ったばかりだからなのかもしれません。
深夜だというのに、ホテルはにぎわっています。これもラマザーン月の所為。日の落ちている間は飲み食いが出来ます。だからホテルの食堂は日の出まで開いている。
ロビーに座っていると、一人の青年が話しかけてきました。別に用事はなく、ぼくの吸っている葉巻に興味を持ったみたいでした。